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三橋久美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三橋 久美(みつはし ひさよし、1873年明治6年〉11月 - 1943年昭和18年〉4月)は、明治から大正時代の日本判事裁判官)、教育者大審院判事・部長、東京控訴院判事・部長、東京地方裁判所判事・部長[1][2]立教大学教授[3]

人物・経歴

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1873年(明治6年)11月、東京府人・三橋久實の長男として東京市で生まれる[1][2]。その後、家督を相続する[1]

1901年(明治34年)7月、東京帝国大学法科大学英法科を卒業した後、翌年3月に司法官試補(東京区裁判所詰)となる[1][2]

その後、東京地方裁判所判事、東京控訴院判事、東京地方裁判所部長、東京控訴院部長を歴任[1][2]

1924年(大正13年)1月、大審院判事に任じられ、1933年(昭和8年)1月には大審院部長に就任[1][2]

その間、大正後期から昭和初期にかけて、立教大学商学部(現・経済学部経営学部)教授を兼任で務めて商法を講じた[4][3]

1936年(昭和11年)11月に大審院を停年により退職[2]

親族

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  • しけ(妻、明治15年5月生)
  • 久夫(長男、明治39年10月生)
  • 淑夫(二男、明治43年10月生)
  • 文(長女、大正3年11月生)
  • いと(二女、大正9年7月生)
  • 治夫(三男、大正14年7月生)

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『人事興信録』データベース『三橋久美』 第8版.昭和3(1928)年7月,名古屋大学大学院法学研究科
  2. ^ a b c d e f 木村 和成「大審院(民事)判決の基礎的研究・4 ―判決原本の分析と検討(昭和5年9月分)―」『立命館法学』第341巻、立命館大学法学会、2012年、637-694頁、ISSN 0483-1330 
  3. ^ a b 国立国会図書館デジタルコレクション 『立教大学一覧』昭和8年3月版 39頁-44頁 昭和8年3月
  4. ^ 『立教大学新聞 第29号』 1926年(大正15年)3月15日