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三条実平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
三条実平
時代 鎌倉時代初期 - 中期
生誕 建久8年(1197年
死没 不詳
官位 正三位非参議左中将
主君 後鳥羽天皇土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇
氏族 三条家
父母 父:三条公房、母:中山忠親の長女
兄弟 実親実平有子、実雲、実誉、教深、御匣殿、九条忠家正室、今小路禅尼
亀山天皇典侍
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三条 実平(さんじょう さねひら)は、鎌倉時代初期から中期にかけての公卿太政大臣三条公房の二男。官位正三位非参議左中将右大臣三条実親の同母弟。

経歴

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以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

建保元年(1213年)12月14日、侍従に任ぜられる[1]。建保4年(1216年)1月5日、従五位上に昇叙[2]。建保5年(1217年)1月28日、安芸権介を兼ねる。建保6年(1218年)1月5日、正五位下に昇叙。承久3年(1221年)1月5日、従四位下に昇叙[3]貞応元年(1222年)11月26日、従四位上に昇叙。同年12月8日、禁色を許される。貞応2年(1223年)12月17日、正四位下に昇叙。

嘉禄元年(1225年)1月5日、従三位に叙される[4]。同月7日、侍従は元の如し。同月27日、左中将を兼ねる。嘉禄2年(1226年)1月23日、越中権守を兼ねる。安貞2年(1228年)3月20日、正三位に昇叙。貞永元年(1232年)1月30日、尾張権守を兼ねる。建長元年(1249年)10月13日、父・公房の喪が明けて復任。正嘉元年(1257年)2月、出家。

系譜

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脚注

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  1. ^ この時以前に叙爵されている筈である。
  2. ^ 宣陽門院御給。
  3. ^ 宣陽門院御給。
  4. ^ 中宮御給。

参考文献

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