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三木良太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三木 良太
名前
愛称 ミキティ
カタカナ ミキ リョウタ
ラテン文字 MIKI Ryota
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1985-04-12) 1985年4月12日(39歳)
出身地 大阪府茨木市
身長 183cm[1]
体重 75kg[1]
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1998-2003 日本の旗 ガンバ大阪
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2009 日本の旗 ガンバ大阪 3 (0)
2007-2008 日本の旗 愛媛FC 41 (4)
2009-2011 日本の旗 ファジアーノ岡山 31 (5)
通算 75 (9)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

三木 良太(みき りょうた、1985年4月12日 - )は、大阪府茨木市出身の元サッカー選手ポジションフォワード

来歴

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中学生時代からガンバ大阪の下部組織に所属し、各年代別代表に選ばれた。2004年にトップ昇格(寺田紳一丹羽大輝が同時昇格である)。G大阪でユースチーム在籍中にトップチームに昇格(正確には帯同)した選手としては稲本潤一新井場徹家長昭博、寺田に次いで5人目(試合出場はなし)。高校卒業に際して、下記のとおり、学校側のミスによるトラブルがあった。

2005年、優勝争いの最中に公式戦デビューを果たしたが、2006年は右膝前十字靭帯損傷という大怪我を負い、このシーズンを棒に振った。

2007年に、J2・愛媛FC期限付き移籍。2シーズンでリーグ戦41試合に出場する。

2009年、2年ぶりにG大阪に復帰したが、6月26日ファジアーノ岡山FCへの完全移籍が発表された。

2011年限りで現役を引退し、翌2012年より、ヴィッセル神戸のスクールコーチを務める[1]

またコーチの傍ら、兵庫県のクラブチームであるディオス1995でサッカー生活を続けている。

エピソード

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2004年3月25日、三木と寺田は向陽台高校の同級生だったが、学校の職員が2人の校外でのサッカー活動を、体育の単位としてコンピューターに入力し忘れたため、卒業単位が足りないと誤認されて卒業生名簿に名前を掲載されていなかった。卒業式直後、生徒などからの指摘でミスが判明し、高校側は2日後の25日に急遽、2人のために卒業式を行った[2]

所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2004 G大阪 21 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2005 3 0 0 0 3 1 6 1
2006 18 0 0 0 0 0 0 0 0
2007 愛媛 9 J2 25 2 - 3 1 28 3
2008 16 2 - 0 0 16 2
2009 G大阪 15 J1 0 0 - - 0 0
岡山 46 J2 15 2 - 1 0 16 2
2010 15 15 3 - 1 0 16 3
2010 岡山N 中国 4 1 - - 4 1
2011 岡山 J2 1 0 - - 1 0
2011 岡山N 中国 8 4 - 0 0 8 4
2012 ディオス 26 兵庫1部 - -
通算 日本 J1 3 0 0 0 3 1 6 1
日本 J2 72 9 - 5 1 77 10
日本 中国 12 5 - 0 0 12 5
日本 兵庫1部 - -
総通算 87 14 0 0 8 2 95 16
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2006 G大阪 18 1 0 -
2009 15 0 0 -
通算 AFC 1 0 0 0

代表歴

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  • U-16日本代表
  • U-17日本代表
  • U-18日本代表
  • U-19日本代表
  • U-20日本代表
  • U-21日本代表

指導歴

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タイトル

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クラブ

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ガンバ大阪ユース
ガンバ大阪

ファジアーノ岡山ネクスト

脚注

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関連項目

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外部リンク

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