三木特種製紙
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒799-0101 愛媛県四国中央市川之江町156 |
設立 | 1953年2月14日 |
業種 | パルプ・紙 |
法人番号 | 5500001014803 |
代表者 | 三木雅人(代表取締役社長) |
資本金 | 5000万円 |
売上高 | 55億9,800万円(平成24年7月期) |
従業員数 | 169名 |
決算期 | 7月31日 |
主要株主 | 大阪中小企業投資育成、三木雅人、三木義規 |
外部リンク |
www |
三木特種製紙株式会社(みきとくしゅせいし、英: Miki Tokushu Paper Mfg.Co.,Ltd)は、日本の特殊紙・不織布製造メーカー。各種産業用の機能紙や不織布の製造を主力とする。1958年世界で初めての化学合成繊維紙を開発した[1]。社名は略して「三木特種」「三木特」と呼ばれるほか[2]、誤って「三木特殊製紙」と書かれることもある[3]。
主要製品
[編集]- テープ基材 - マスキングテープ用基材、両面テープ用基材、など
- メンブレンフィルター用基材 - 水処理膜用基材、など
- 食品用フィルター - コーヒーフィルター、紅茶バッグ包材、麦茶パック包材、など
- 工業用フィルター - 電気掃除機集塵パック用紙、など
- 電気絶縁紙 - トランス用電気絶縁紙、など
- バッテリーセパレーター
- 保鮮紙およびワイパー - キッチンペーパー、クッキングペーパー、ワイパー、など
- あぶらとり紙
沿革
[編集]三木特種製紙の位置する川之江は、古くから金生川の水を利用した製紙が盛んな土地で、創業者である三木軍次の父も手すきの和紙製造に従事していた[4]。しかし三木は手すきを嫌い、1917年、当時機械製紙を始めつつあった丸井工場で働き始めた[5]。1943年、戦時統制の一環として丸井工場は他社と統合され、丸井製紙となった[6]。
しかし終戦後、統制が緩和されると丸井製紙は分裂し、丸井から独立して丸住製紙や井川一次郎工場といった企業が設立された[7]。この頃丸井製紙で工場長を務めていた三木も[9]独立し、1947年、軍から払い下げの物資で機械を組み上げて製紙工場を始めた[8]。当初の従業員は18名であった[4]。当時は戦後の出版ブームを背景に仙貨紙の需要が高く、これを当て込んだ製紙への新規参入も目立った時期であったが、そうした中で三木は創業当初から絶縁紙に取り組んだ[10]。絶縁紙は送電設備に使用される紙で、戦後の送電網復興には欠かせない製品であった。このほか帽子に用いる抄繊紙や、着物に用いる金箔原紙など、特殊用途向けの紙製造に取り組み、1953年には株式会社化とともに社名を三木特種製紙に改めた[4]。社名の「種」はあらゆる原料(種)を紙にしていく、という思いを込めたものである[1]。
- 1953年 - 会社設立
- 1958年 - 合成化学繊維紙を開発
- 1990年 - 電気絶縁紙工場を中国安慶市に建設
- 2006年 - ISO14001環境マネジメントシステムの認証取得
- 2012年 - ISO9001品質マネジメントシステムの認証取得
拠点
[編集]製造設備
[編集]- N-1号機 - 円網ヤンキー式抄紙機 (660mm幅)
- N-3号機 - 短網円網コンビネーション抄紙機 (2,900mm幅)
- N-5号機 - 円網ヤンキー多筒抄紙機 (1,250mm幅)
- 6号機 - 円網ヤンキー式抄紙機 (1,350mm幅)
- 7号機 - 円網ヤンキー式抄紙機 (1,350mm幅)
- 8号機 - 円網ヤンキー式抄紙機 (2,000mm幅)
- 8号機 - スパンレース加工機設備
- パルプ漂白・精選設備
グループ会社
[編集]- エム・アイ・ケイボード株式会社(愛媛県四国中央市)
- 株式会社イトウ(愛媛県四国中央市)
- カナエ紙工株式会社(愛媛県四国中央市)
- 安徽三木特紙有限公司(中国安徽省)
- 三木特紙(蕪湖)有限公司(中国安徽省)
- 三木特種有限公司(香港) - 販社
受賞歴
[編集]- 全国発明賞(1970年)
- 藤原賞(1971年)
- 地方発明奨励賞(1977年)
- 第1回科学技術庁長官賞(1981年)
脚注
[編集]- ^ a b 「ネーミング・ストーリー ~社名・商品名の由来 三木特種製紙(四国中央市) あらゆる素材を原料に」『愛媛新聞』2012年6月25日付朝刊12面。
- ^ 「〔座談会〕化繊紙及び化繊紙研究会の回顧と今後の使命―技術史と未来展望―」『化繊紙研究会誌』第15号、化繊紙研究会、1976年10月、15, 17ページ。
- ^ 誤記例
- 良永博司「東京・大阪何するものぞ奮闘伝③ 紙ひと筋に新しい生命を吹き込み世界に進出する 愛媛県 三木特殊製紙社長 三木輝久氏」『オール生活』第42巻第5号、実業之日本社、1987年5月、172-174ページ。
- 「会社ファイル 製紙以外でも高付加価値分野に進出 三木特殊製紙」『日経産業新聞』昭和57年(1982年)8月4日付13面。
- ^ a b c 「シリーズ――活力ある中小企業探訪 企業訪問レポート 挑戦者のハートを持つ創造者 三木特種製紙株式会社〈愛媛県川之江市〉」『保険公庫月報』第39巻第9号、中小企業総合研究機構、1996年9月、38-42ページ。ISSN 1342-3088。
- ^ a b 『昭和を生き抜いた人々が語る 臨海都市圏の生活文化(平成7年度地域文化報告書)』愛媛県生涯学習センター、1996年3月、133-139ページ。
- ^ 愛媛県史編さん委員会編集『愛媛県史 地誌II(東予東部)』愛媛県、1988年、612ページ。
- ^ a b 愛媛県史編さん委員会編集『愛媛県史 社会経済3 商工』愛媛県、1986年、378-379ページ。
- ^ a b 辻井勇二「企業紹介 グローバル化に挑戦する企業 三木特種製紙株式会社」『調査月報 IRC』第275号、いよぎん地域経済研究センター、2011年5月、10-13ページ。
- ^ 『調査月報 IRC』記事[8]、『愛媛県史』の記述[7]による。ただし『臨海都市圏の生活文化』では三木自身の回想として、工場長をしていたのは丸住製紙であるとの記述がある[5]。
- ^ 「企業訪問 紙とともに40年 三木特種製紙株式会社(愛媛県 川之江市)」『中小企業信用保険公庫月報』第28巻第8号、中小企業調査協会、1985年8月、88-92ページ。ISSN 0578-2422。