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三帖和讃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
親鸞筆「三帖和讃」(専修寺蔵)[1]

三帖和讃(さんじょうわさん)は、親鸞の著作である『浄土和讃』、『高僧和讃』、『正像末和讃』の総称である。南北朝時代には、この総称が用いられるようになる[2]高田派では、『皇太子聖徳奉讃』75首を加えて「四帖和讃」[3]と総称することも。三帖和讃は1953年昭和28年)11月14日、国宝に指定された[4]

親鸞は、晩年まで加筆、再訂する。真跡本は、完全なものは発見されていない。専修寺蔵の「国宝本」に一部が真跡と認められる限りである。「文明本」[5]など書写本が数多く残る。書写する際に加筆・再訂され、和讃数や順序などが写本により異なる。後に本願寺第八世 蓮如によって「正信念仏偈」とともに「三帖和讃」(文明本)が開版され、門徒の朝夕の勤行に用いられるようになる。

浄土和讃

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浄土和讃』(じょうどわさん)1巻は、宝治2年(1248年)頃の著作と言われる。「三帖和讃」の一つ。

118首の和讃からなる。

高僧和讃

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高僧和讃』(こうそうわさん)1巻は、『浄土和讃』と同じく宝治2年(1248年)頃の著作と言われる。『浄土高僧和讃』とも言う。「三帖和讃」の一つ。

親鸞が選定した「七高僧」を讃える119首の和讃からなる。

正像末和讃

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正像末和讃』(しょうぞうまつわさん)1巻は、正像末法和讃とも言う。正嘉元年(1257年)頃の著作と言われる。「三帖和讃」の一つ。

全部で116首の和讃からなる。

脚注

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  1. ^ 「文明本」などでは、「像末五濁ノ世トナリテ 釋迦ノ遺敎カクレシム 彌陀ノ悲願ヒロマリテ 念佛往生サカリナリ」。
  2. ^ 南北朝時代には〜なる…伊藤博之 校注『歎異抄 三帖和讃』P.51より
  3. ^ 名畑應順『親鸞和讃集』P.338より
  4. ^ 三帖和讃 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  5. ^ 文明本…文明5年、蓮如による書写。

参考文献

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  • 名畑應順 校注『親鸞和讃集』岩波書店岩波文庫 青318-3〉、1976年。ISBN 4-00-333183-4 ワイド版岩波文庫、2001年
  • 伊藤博之 校注『歎異抄 三帖和讃』新潮社新潮日本古典集成 46〉、1981年。ISBN 4-10-620346-4 

関連文献

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関連項目

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外部リンク

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