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三島義一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三島 義一郎
生誕 1894年12月31日
日本の旗 日本 福岡県
死没 没年不明
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1916年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
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三島 義一郎(みしま ぎいちろう、1894年明治27年)12月31日[1] - 没年不明[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]

経歴

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1894年(明治27年)に福岡県で生まれた[1]陸軍士官学校第28期、陸軍大学校第37期卒業[1]1938年(昭和13年)5月に第116師団参謀長に就任し[2]、7月に陸軍砲兵大佐に進級[2]日中戦争に出動し、安慶に駐屯[1]。警備、討伐戦に当たり、漢口攻略に参加した[1]1939年(昭和14年)3月に野戦重砲兵第1連隊長を経て[2]、11月に陸軍野戦砲兵学校教官に就任[2]1940年(昭和15年)3月より兼陸軍野戦砲兵学校自動車部長[2]。12月に陸軍自動車学校幹事を経て[2]1941年(昭和16年)7月に第23砲兵団長に就任し[2]、10月に陸軍少将に進級した[2]

1942年(昭和17年)に壱岐要塞司令官に就任し[1]1944年(昭和19年)2月に第3砲兵団長[1]、7月に豊予要塞司令官を経て[1]、11月に船舶砲兵団長に就任[1]1945年(昭和20年)3月に陸軍中将に進級し[2]、4月に第150師団長に親補された[1]朝鮮光州で終戦を迎えた[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 福川 2001, 694頁.
  2. ^ a b c d e f g h i j 外山 1981, 392頁.
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026