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三島 嶋麻呂(みしま の しままろ、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。姓は朝臣。官位は従五位上・左大舎人頭。
称徳朝の天平神護3年(767年)正月、正六位上から従五位下に昇叙している[1]。同年5月、大膳員外亮に任ぜられる[2]。
それから長く記録が途絶えるが、光仁朝の宝亀10年(779年)、乙訓王の後任の大膳亮に任ぜられ[3]、桓武朝の天応2年(782年)、氷上川継の乱後の叙任において、百済王武鏡に官職を譲り、丹後介に就任している[4]。
『続日本紀』による。
- ^ 『続日本紀』巻第二十八、称徳天皇 天平神護3年正月18日条
- ^ 『続日本紀』巻第二十八、称徳天皇 天平神護3年5月14日条
- ^ 『続日本紀』巻第三十五、光仁天皇 宝亀10年11月28日条
- ^ 『続日本紀』巻第三十七、桓武天皇 今皇帝 天応2年2月3日条
- 『続日本紀4 (新日本古典文学大系15)』 岩波書店、1995年
- 『続日本紀5 (新日本古典文学大系16)』 岩波書店、1998年
- 宇治谷孟訳『続日本紀 (中)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年
- 宇治谷孟訳『続日本紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、1995年
- 竹内理三・山田英雄・平野邦雄編『日本古代人名辞典』6 - 1647頁、吉川弘文館、1973年