三守守
表示
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
三守 守(みもり まもる、1859年5月22日(安政6年4月20日)[1] - 1932年(昭和7年)1月27日)は、教育者。東京物理学講習所(後の東京物理学校、現在の東京理科大学)の創立者の一人。
経歴
[編集]阿波国徳島に生まれる。 1872年(明治5年) - 第一大学区第一番中学(後の開成学校、東京大学)に入学。 1873年(明治6年)11月4日 - 開成学校から分離した(旧)東京外国語学校に移る。 1874年(明治7年)2月 - 開成学校入学。 1875年(明治8年) - 東京大学仏語物理学科入学。 1880年(明治13年)7月 - 東京大学仏語物理学科第3期卒業。 1881年(明治14年) - 東京物理学講習所の創立者の一人となる。 1885年(明治18年) - 東京物理学校維持同盟員となる。 1917年(大正6年)1月10日 - 東京高等工業学校名誉教授[2]
上記のほか、東京女子師範学校教授、東京高等工業学校教授、東京工業大学名誉教授を勤めた。
墓標は多磨霊園に所在。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章