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三好新五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
三好 長久/三好 新五郎
時代 戦国時代室町時代後期)
生誕 不詳
死没 永正17年5月11日1520年6月6日
氏族 三好氏
父母 父:三好長尚
兄弟 長久長家政長
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三好 長久(みよし ながひさ)は、戦国時代武将[1]

略歴

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三好之長の甥である。「三好越後(三好長尚)子」とされており、「筑前(之長)が弟の三好越後と申者の子」と記されている[2]

永正17年(1520年)5月5日、細川澄元や伯父の之長に従って細川高国等持院で戦うが敗北(等持院の戦い)。伯父や従兄弟の芥川長光三好長則兄弟と共に曇華院殿に潜伏した。しかし高国に潜伏先を察知され、5月11日に伯父と共に生命の保証を条件にして降伏するが高国に騙され、同日のうちに伯父と共に知恩寺で斬られた。父と弟の長家・政長は後に高国と戦い政権を奪い取った[3]

脚注

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  1. ^ 天野忠幸「長尚流三好氏の動向」『増補版 戦国期三好政権の研究』(清文堂、2015年) ISBN 978-4-7924-1039-1
  2. ^ 長江、P33。
  3. ^ 長江、P32 - P33、P38 - P40。

参考文献

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