三好新五郎
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時代 | 戦国時代(室町時代後期) |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 永正17年5月11日(1520年6月6日) |
氏族 | 三好氏 |
父母 | 父:三好長尚 |
兄弟 | 長久、長家、政長 |
略歴
[編集]三好之長の甥である。「三好越後(三好長尚)子」とされており、「筑前(之長)が弟の三好越後と申者の子」と記されている[2]。
永正17年(1520年)5月5日、細川澄元や伯父の之長に従って細川高国と等持院で戦うが敗北(等持院の戦い)。伯父や従兄弟の芥川長光、三好長則兄弟と共に曇華院殿に潜伏した。しかし高国に潜伏先を察知され、5月11日に伯父と共に生命の保証を条件にして降伏するが高国に騙され、同日のうちに伯父と共に知恩寺で斬られた。父と弟の長家・政長は後に高国と戦い政権を奪い取った[3]。
脚注
[編集]- ^ 天野忠幸「長尚流三好氏の動向」『増補版 戦国期三好政権の研究』(清文堂、2015年) ISBN 978-4-7924-1039-1
- ^ 長江、P33。
- ^ 長江、P32 - P33、P38 - P40。
参考文献
[編集]- 長江正一『人物叢書 三好長慶』吉川弘文館、1968年(新装版、1989年4月)。ISBN 978-4-642-05154-5