三好応岸
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(三好應岸から転送)
三好 応岸 | |
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三好 應岸 | |
肖像写真。紋付を羽織り、煙管を持つ[1]。 | |
生誕 |
三好 又八郎 天保3年7月15日(1832年8月12日) 伊予国宇和郡本町(愛媛県宇和島市本町) |
死没 |
1909年(明治42年)8月2日 愛媛県北宇和郡 |
墓地 | 丸穂村金剛山 |
国籍 | 大日本帝国 |
著名な実績 | 日本画 |
代表作 | 「宇和島・江戸図屏風」 |
流派 | 写生派、円山派 |
後援者 | 伊達宗徳 |
影響を受けた 芸術家 | 三好応山、大西雪渓 |
影響を与えた 芸術家 | 静岸 |
三好 応岸(みよし おうがん、天保3年7月15日(1832年8月12日) - 1909年(明治42年)8月2日)は江戸時代後期・明治時代の画家。伊予国宇和島出身。三好応山の次男。
経歴
[編集]天保3年(1832年)7月15日伊予国宇和郡本町(愛媛県宇和島市本町)に紺屋三好応山の次男として生まれた[1]。通称は又八郎[2]。幼少期から絵を好んで父に画業を学び[2]、兄が紺屋業を継ぐと、自身は分家して画業を本業とした[1]。父から「応」字を継いで応岸と号し[2]、また画舫楼の号を継承した[3]。豪商としての繋がりから宇和島藩主伊達宗徳に厚遇を受け[1]、「月下の山犬」を称賛されて3度揮毫したという[2]。
讃岐国那珂郡郡家村(香川県丸亀市郡家町)の大西雪渓に絵を学んだ[4]。同地域の資料は応岸を同国三豊郡(同県三豊市)の人とするが、同郡に滞在歴があったかどうか不明[4]。また「徴山」に絵を学んだともされるが[5]、父応山やその師とされる土佐鉄山(不詳)の誤字か不明[3]。1882年(明治15年)第1回内国絵画共進会に「幽霊」「夜ノ浪」を出品した際には写生派、1884年(明治17年)第2回内国絵画共進会に「狼」「山水」を出品した際には円山派を称している[3]。
1909年(明治42年)8月2日78歳で死去した[2]。丸穂村金剛山に応山・応岸の墓があるという[6]。弟子に静岸がいる[7]。
作品
[編集]作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所蔵 | 年代 | 落款 | 印章 | 備考 |
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宇和島・江戸図屏風 | 紙本着色[8] | 六曲一双[8] | 各隻95.0x262.0[8] | 愛媛県美術館[8] | 明治後期[9] | 「應岸」[10] | 右隻に白文方印「畫舫漁夫」、左隻に同「画舫樓」[8][10] | 右隻は元禄期の宇和島城搦手門・豊後橋・櫓、樺崎住吉神社等を南側から[11]、左隻は富士山を背景に江戸隅田川・永代橋・寛永寺・大名屋敷・木場・行徳塩田等を海側から描く[12]。2014年(平成26年)3月収蔵[8]。 |
七夕図 | 紙本着色[8] | 一幅[8] | 小品[8] | 今治市法華寺[8] | 「應岸」[10] | 「應岸」[10] | ||
鴛鴦図 | 紙本着色[9] | 一幅[9] | 今治市法華寺[9] | 「應岸」[10] | 「画舫樓」「應岸之印」[10] | |||
虎図 | 絹本墨画淡彩[9] | 一幅[9] | 今治市法華寺[9] | 「應岸」[10] | 「畫舫」[10] | |||
松鷹図 | 紙本墨画淡彩[9] | 一幅[9] | 今治市法華寺[9] | 「應岸」[10] | 「画舫樓」「應岸之印」[10] | |||
石橋山大合戦図 | 大絵馬[8] | 鬼北町山神王神社[8] | 1899年(明治32年)奉納[8] | 「應岸」[10] | ||||
湊川合戦図屏風 | 柏原市立歴史資料館[13] | 1891年(明治24年)?[13] | 「六重之翁」[13] |
脚注
[編集]- ^ a b c d 梶岡 2014, p. 3.
- ^ a b c d e 兵頭 1915, p. 105.
- ^ a b c 梶岡 2014, p. 2.
- ^ a b 梶岡 2014, p. 4.
- ^ 農商務省 1884, p. 253.
- ^ 富永 1917, p. 48.
- ^ 愛媛県 1986.
- ^ a b c d e f g h i j k l m 梶岡 2014, p. 1.
- ^ a b c d e f g h i j 梶岡 2014, p. 10.
- ^ a b c d e f g h i j k 梶岡 2014, p. 14.
- ^ 梶岡 2014, pp. 6–8.
- ^ 梶岡 2014, p. 8.
- ^ a b c やまげ (2016年10月25日). “柏原市立歴史資料館”. やまげのおでかけ暴走紀行. 2018年11月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 農商務省博覧会掛『第二回 内国絵画共進会出品人略譜』国文社、1884年5月。NDLJP:851283/133。
- 兵頭賢一『南予遺香』川之石活版所、1915年4月。NDLJP:932577/64。
- 梶岡秀一「三好応岸筆《宇和島・江戸図屏風》考」『愛媛県美術館研究紀要』第13号、愛媛県美術館、2014年。
- 富永道人「伊予墳墓録八」『伊予史談』第3巻第1号、伊予史談会、1917年3月。
- 愛媛県史編さん委員会「各藩の絵師」『愛媛県史』 芸術・文化財、愛媛県、1986年1月 。