三国命
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三国命(みくにのみこと)は、「上宮記」逸文に記される日本古代の5世紀頃の豪族。
概要
[編集]三国命の名前は、『釈日本紀』巻十三所引の「上宮記」逸文の系譜に見えるのみである。
汗斯王(うしのみこ)(=彦主人王)弥乎国(みおのくに)(=三尾。現在の滋賀県高島市安曇川町三尾里を中心とした一帯)高嶋宮(たかしまのみや)に坐しし時に、この布利比弥命(ふりひめのみこと)(=振媛)甚(いと)美(うるわし)き女(みめ)と聞き人を遣はして三国坂井県(みくにのさかないのあがた)(現在の福井県坂井市三国町)より召し上げ、娶りて生める所は、伊波礼宮(いはれのみや)に天の下治しめしし乎富等大公王(おほとのおおきみ)(=継体天皇)なり。父の汗斯王崩去(かむさ)りまして後に、王(みこ)が母の布利比弥命(ふりひめのみこと)言ひて曰く、「我独り王子(みこ)を親族部(うがら)无き国に持ち抱きて、唯独り養育(ひだしたてまつる)こと難し」と。
爾して将に下り去りまして祖(みおや)三国命(みくにのみこと)の坐(いま)す多加牟久(たかむく)の村に在(ま)しましき
上記の史料によると、継体天皇の父親の彦主人が美人である振媛を見初めて結婚したが、王亡き後、母親の振媛が親族のいない土地での養育の難しさを考えて、直系尊属である三国命のいる高向の村(現在の福井県坂井市丸岡町)に帰ったと伝えられている。これと同じ内容の文が『日本書紀』巻第十七冒頭部にあるが、三国命の名前は現れない。