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三善康持

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三善 康持(みよし やすもち、建永元年(1206年) - 正嘉元年10月26日1257年12月3日))は、鎌倉時代政治家三善康俊の息子。子に政康宗康がいる。町野康持とも呼ばれる。町野氏の祖。官職は民部大夫、加賀守、備後守。

父・康俊の後を継いで問注所の執事を担当した他、評定衆にも名前を連ねている。しかし、千葉秀胤狩野為佐後藤基綱らと共に、宮騒動で反北条勢力の九条道家や前将軍九条頼経に加担したため、これらの職を罷免された。

しかし、その後も引付衆などの立場で、幕政に参与していた形跡が残っている。

参考文献

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