三分一銀納
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三分一銀納(さんぶいちぎんのう)は、江戸時代、田畑年貢の三分の一を銀納としたこと。
主として関西で行われたため、銀納を普通としたが、金納の地もあった。また大和国のように、全ての年貢を貨幣で納める石代納(皆石代納)の国もあり、また3分の2の米納の分もその幾分かを石代納とする地もあった。この場合は、三分一銀納の石代よりも高率であった。
すなわち享保10年(1725年)の令によれば、その石代は三分一金銀納の石代に、さらに35石につき金3両、銀納の地方は米1石に銀5匁を増加して納めさせた。 三分一銀納は、明治3年(1870年)7月まで継続した。
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