三井嘉都夫
三井 嘉都夫(みつい かずお、1922年1月28日 - 2011年4月1日)[1]は、日本の地理学者、陸水学者。法政大学名誉教授[2][3]。
人物
[編集]静岡県富士郡今泉村(現:富士市)に生まれ、幼い頃、調査で静岡県を訪問した多田文男(東京大学名誉教授)の薫陶を受け地理学を志すと単身、縁者を頼り東京の旧制麻布中学に進学した[1]。その後、1937年に創設されたばかりの法政大学高等師範部地理歴史学科に1941年に入学後、学徒動員に応じる。戦時下の苦労と戦後の動乱期を乗り切り、1946年5月から資源科学研究所[4]解散まで嘱託研究員として勤務する傍ら、夜間部として新たに開設された法政大学文学部地歴学科の第1期生として1950年3月に卒業。同年7月には助手として採用され、助教授(1960年)を経て1966年に教授となり、多くの地理学徒を世に送り出した[5]。
法政大学では1971年から1973年は大学院議長、同学文学部長(1973年-1975年)、学校法人理事(1981年-1984年)として要職を歴任する。また1974年から1992年の長きにわたって同学野球部長を務め、その間、東京都大学野球連盟の理事を拝命した。
研究分野は、毒水(どくすい)[注 1][7][8]、地下水賦存と水利、洪水と水害、流送土砂の移動、河床変動[9][10][11]、地下水塩水化・塩水遡上[8][12][13][14]・水質汚濁[15][16][17]など多岐にわたり、実証研究を重んじて日本各地を対象地域とした[18][19]。海外も視野に入れ[20][21]、1991年に日中合同調査隊長としてタクラマカン砂漠に赴いたほか、多くの論文を残している。
研究成果の根底にみられるのは、人間生活とのかかわりによる自然環境の変貌過程の実証的な考察である。水害の例では木曽川流域の調査(1956年度)に参加し、この時の空中写真を判読して作られた「木曽川流域濃尾平野水害地形分類図」(大矢雅彦作成)ほかが、1959年9月の伊勢湾台風(台風15号)における浸水と低地の微地形との対応をはっきりと示したように[22]、水利用と開発・保全などの諸問題を通じて、地理学の社会性に寄与することを研究テーマとした。富士山をあおぐ岳南地域は駿河和紙の生産など伝統産業の水需要を支え[23]、やがて産業活動の近代化[26]による水質の劣化[27][28][29]と農業への影響がつのると地質調査所で調査が行われる[30]。やがて工業廃水にも注目が集まり対策協議会が発足[31][32]、1950年代から1970年代半ばまで行政が地下水取水の条例[33]、規定[34][35]や担当部署の設定[36]あるいは排水路整備[37]を施策した。しかしながら開発の持続可能性を危ぶむ声が高まる時期もあり、三井は対策の評価を試みた[12][13][38][39]。
これらは、長年にわたって薫陶を受けた多田文男の標榜(ひょうぼう)した「応用地形学」を体系化する礎石の一つを担ったものである。多田文男の著書『自然環境の変貌-平野を中心として-』の中にもその成果が抄録記載されているのも、多田地理学の伝統を継承する一人であることを示唆するものである。(市瀬由自、1992)[疑問点 ]
多田門下である大矢雅彦・市瀬由自とは、資源科学研究所(資源研)時代(1960年代)から交流が深く、共同研究や法政大学と早稲田大学の連携の中で、あるいは講師として教壇に立った大学で多くの地理学者を育てた[40]。
公職、栄典
[編集]- 科学技術庁資源調査会専門委員[1]
- 練馬区緑化委員会会長[1]
- 1991年、1992年 日中合同タクラマカン沙漠調査隊総長[41]
- 1987年 日本水文科学会監査委員[42]
- 水文学研究会役員(1977年-1981年運営委員、1982年-1983年評議員)[42]
- 日本陸水学会評議員[1]
- 日本陸水物理研究会会長[43]
- 1996年 勲三等旭日中綬章[1]
- 2004年 日本水文科学会名誉会員[42]
主要著書・論文
[編集]単行本
[編集]- 1955年『日本文化地理風土記』和歌森太郎・小川徹編、河出書房
- 1956年『現代地理学講座』多田文男・石田龍次郎編、河出書房
- 1957年『世界文化地理体系』平凡社
- 1959年『大学教養人文地理学』青野壽郎編、森北出版
- 1978年『地理学』西岡秀雄ほか、私立大学通信教育協会
- 1981年『地形学辞典』町田貞ほか、二宮書店
- 1984年『自然地理学(海洋・陸水)』法政大学
学術論文
[編集]- 1949年「富士山南麓の地下水」(『資源科学研究所彙報』、資源科学研究所。13)
- 1952年「鹿児島県シラス台地の崖崩れ」(『東大地理学研究』2)
- 1954年「吾妻火山の毒水について」(『資源科学研究所彙報』第33号。1-7)
- 1958年「渡良瀬川河畔の地下水」(『法政大学文学部紀要』第4号。)
- 1960年「狩野川の河床変動と洪水」(『地理学評論』、日本地理学会、第33巻第3号。)
- 1960年「人為に伴う河床変動に関する地理学的研究」(学位論文)[44]
- 1961年「鹿屋市周辺の地下水(第Ⅲ報)」(『資源科学研究所彙報』第54号。54-55)
- 1967年「九頭竜川の河床変動と流送土砂礫の実態」(編)、科学技術庁資源局
- 1972年「関東諸河川の水質の変貌 (水文地理学特集)」(『地理学評論』00167444、日本地理学会、第45巻第2号。76-87。)
- 1979年「村田川の汚濁機構解明調査」(『水利科学』水利科学研究所、第129号。70-90。)
- 1981年「ランドシステムの自然地理学 (文化・資源・環境--国際地理学会議からの報告<特集>) -- (セクション)」(『地理』古今書院。第26巻第1号。40-41。)
- 1986年 桑原正見、井上奉生、佐藤典人(共著)「河川の水質汚濁化とし尿処理排水(2)」(『水利科学』水利科学研究所、第169号。75-100。)
- 1991年「狩野川台風水害の思い出から」(『地理学雑誌』第100巻第1号。172。)doi:10.5026/jgeography.100.172
- 1994年「日中合同タクラマカン沙漠の自然環境調査-1-タクラマカン周辺の山と河」(『地理』第39巻第1号。7、74-83。)
脚注
[編集]注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f 佐藤典人「<追悼文>三井嘉都夫先生のご逝去を悼む」『法政地理』第44巻、法政大学地理学会、2012年3月22日、1-2頁。
- ^ 3-2 私と外邦図 三井嘉都夫 大阪大学文学部人文地理学教室 外邦図研究プロジェクト 外邦図研究ニューズレターNo.2(2004年3月)
- ^ おくやみ情報 : 三井嘉都夫 (地理学者) の死亡日,所属・業績など - 訃報新聞
- ^ 三井嘉都夫「私と外邦図(第4回研究会)」、『外邦図研究ニューズレター』第2号、大阪大学人文地理学。
- ^ 三井 嘉都夫「地理学教室あんない--私立大学編-2-自然と人文のバランスのとれた地理学科 法政大学文学部地理学教室」『地理』第34巻第9号、古今書院、1989年9月、109-116頁、ISSN 0577-9308、NAID 40002445491。
- ^ 毒水(どくすい)とは? 意味や使い方 - コトバンク
- ^ 三井嘉都夫「吾妻火山の毒水について」『資源科学研究所彙報』第33巻、資源科学研究所、1954年3月、1-7頁、ISSN 0371-0661、NAID 40017850842。
- ^ a b 三井嘉都夫「関東諸河川の水質の変貌」『地理学評論』第45巻第2号、日本地理学会、1972年、76-87頁、doi:10.4157/grj.45.76、ISSN 0016-7444、NAID 130003567456。
- ^ 三井嘉都夫「狩野川の河床変動と洪水」『地理学評論』第33巻第3号、日本地理学会、1960年、130-138頁、doi:10.4157/grj.33.130、ISSN 0016-7444、NAID 130003566973。
- ^ 三井嘉都夫「石狩川の河床変動と洪水」『資源科学研究所彙報』第61号、資源科学研究所、1963年11月、7-16頁、ISSN 0371-0661、NAID 40017850651。
- ^ 三井嘉都夫「外帯諸河川の河床変動,とくに四万十川(渡川)を中心として」『法政大学文学部紀要』第35号、法政大学文学部、1989年、7-53頁、ISSN 0441-2486、NAID 40003488118。
- ^ a b 三井嘉都夫「岳南地域における地下水の塩水化ならびに地表水の汚染過程とその復元」『地学雑誌』第91巻第5号、東京地学協会、1982年、378-396頁、doi:10.5026/jgeography.91.5_378、ISSN 0022-135X、NAID 130000801180、2020年9月10日閲覧。
- ^ a b 三井嘉都夫「岳南地域における自然環境の変貌:―とくに地下水の塩水化と地表水の汚染過程を通じて―」『水利科学』第28巻第4号、水利科学研究所、1984年、1-22頁、doi:10.20820/suirikagaku.28.4_1、ISSN 0039-4858、NAID 130007793618、2020年9月10日閲覧。
- ^ 小寺浩二、浅見和希、齋藤圭、乙幡正喜「「身近な水環境全国一斉調査」の結果から見た新河岸川流域の水環境特性」『日本地理学会発表要旨集』2018年度日本地理学会春季学術大会セッションID: 515、日本地理学会、2018年、000267頁、doi:10.14866/ajg.2018s.0_000267、NAID 130007412069、2020年9月10日閲覧。
- ^ 三井嘉都夫「村田川の汚濁機構解明調査」『水利科学』第23巻第4号、日本治山治水協会、1979年、70-90頁、doi:10.20820/suirikagaku.23.4_70、ISSN 0039-4858、NAID 130007822685。
- ^ 三井嘉都夫、松島誠司、森本亮、大杉芳明、石川裕芳、出口俊弘「白子川流域における地下水・湧水の親水的役割」『水利科学』第32巻第6号、水利科学研究所、1989年、1-15頁、doi:10.20820/suirikagaku.32.6_1、ISSN 0039-4858、NAID 130007691329。
- ^ 小寺浩二、三井嘉都夫「白子川流域における白子宿近傍の湧水:―人工改変に伴う流出機構の変化(その1)―」『水利科学』第34巻第1号、水利科学研究所、1990年、30-49頁、doi:10.20820/suirikagaku.34.1_30、ISSN 0039-4858、NAID 130007689797。
- ^ 三井嘉都夫、桑原正見、井上奉生、佐藤典人「河川の水質汚濁化とし尿処理排水(Ⅱ)」『水利科学』第30巻第2号、一般社団法人 日本治山治水協会、1986年、75-100頁、doi:10.20820/suirikagaku.30.2_75、ISSN 0039-4858、NAID 130007784508。
- ^ 三井嘉都夫、佐藤典人、宮垣津繁、池英助「河川の水質汚濁化とし尿処理排水(Ⅰ)」『"水利科学』第29巻第6号、水利科学研究所、1986年、1-14頁、doi:10.20820/suirikagaku.29.6_1、ISSN 0039-4858、NAID 130007787571。
- ^ 吉野正敏、三井嘉都夫、吉野みどり、吉村稔、漆原和子、上田茂春、大和田道雄、中村圭三「ユーゴスラヴィアのアドリア海岸における偏形樹によるボラ地域の調査」『地理学評論』第47巻第3号、公益社団法人 日本地理学会、1974年、155-164頁、doi:10.4157/grj.47.155、ISSN 0016-7444。
- ^ 三井嘉都夫「ユーゴスラヴィアの河川」『地理学評論』第47巻第4号、公益社団法人 日本地理学会、1974年、236-249頁、doi:10.4157/grj.47.236、ISSN 0016-7444、NAID 130003567531。
- ^ 海津正倫「わが国における地形分類図の普及と展開(セッションID: S301)」『2018年度日本地理学会春季学術大会』、主催: 公益社団法人 日本地理学会、doi:10.14866/ajg.2018s.0_000040。
- ^ 渥美武六「岳南一田子の浦港周辺の地下水と地下構造について」『地学雑誌』第69巻、1960年、37-40頁。
- ^ 太田勇「岳南地方の工業化」『地理評論文』第35巻第9号、1962年、427-441頁。
- ^ 太田勇「岳南地方の工業化 (続報)」『地理評論文』第39巻第1号、1966年、1-19頁。
- ^ 落合敏郎・川崎宏直 (1962) : 岳南海岸平野の塩水侵入の解析, 日本地下水学会誌, 11, 4, 2-4.太田勇による経過観察[24][25]がある。
- ^ 池田喜代治 (1967). “地下水の塩水化についての研究-第2報, 塩水化地下水の地球化学的研究-”. 地調月報 18-6: 393-411.
- ^ 岡部吏生、門脇和博、丸田英明「静岡県田子の浦港周辺の地下水塩水化現象」『地理評論』第41巻第3号、1968年、201-206頁。
- ^ 落合敏郎、川崎宏直「岳南海岸平野の塩水侵入の解析」『日本地下水学会誌』第11巻第4号、1962年、2-4頁。
- ^ 蔵田延男、森和雄、尾崎次男「静岡県岳南地域工業用水源地域調査報告、東海地域調査第8報」『地質調査所月報』第7巻第6号、1956年、1-24頁。
- ^ 岳南地域地下水利用対策協議会『岳水協10年のあゆみ』岳南地域地下水利用対策協議会、1978年、1-119頁。
- ^ 山崎誠治「岳南地域地下水利用対策協議会の発足にあたって」『工業用水』第103号、日本工業用水協会、1967年4月、29-33頁、ISSN 0454-1545、NAID 40017764435。
- ^ “第1編-第6章-資源”. www1.g-reiki.net. 静岡県経営管理部総務局法務文書課 (2020年5月31日). 2020年8月23日閲覧。 “* 静岡県地下水の採取に関する条例◆昭和52年(※1)08月01日条例第25号
- 静岡県地下水の採取に関する条例施行規則◆昭和53年(※2)01月23日規則第2号
- 地下水の採取に関する規制地域及び適正化地域並びに取水基準◆昭和54年(※3)08月01日告示第628号
- ^ “静岡市トップ > 事業者向け > 事業系ごみ・環境 > 環境保全・配慮 > 地下水 > 井戸の利用について”. 静岡市 (2019年4月1日). 2020年8月23日閲覧。 “目的 静岡県地下水の採取に関する条例(昭和53年1月31日施行)は、特定の区域内において地下水の採取の規制等の必要な措置を講ずることにより、地下水の採取に伴う障害の防止及び地下水の水源の保全を図ることを目的としています。”
- ^ 『岳南地域の規制地域及び適正化地域 (静岡県地下水の採取に関する条例)』(pdf)静岡市 。
- ^ 産業政策課. “岳南地域地下水利用対策協議会とは”. 富士市. 2020年8月23日閲覧。
- ^ “岳南排水路建設のあゆみ”. gakunan-haisuiro.jp. 2020年8月23日閲覧。 “岳南排水路は、昭和26年(*1)都市計画水利施設事業として建設に着手し、昭和49年(*2)までの20数年間に富士宮市泉町~田子の浦港に至る約33kmの排水路(φ300~□4,800mm)、ポンプ場1か所を建設しました。(注記:*1=1951年。*2=1974年。)”
- ^ 小寺浩二「岳水協50年の歴史に学ぶ富士南麓地域水環境の変遷」『法政大学文学部紀要 = Bulletin of Faculty of Letters, Hosei University』第77巻、法政大学文学部、2018年、51-62頁、doi:10.15002/00021357、ISSN 0441-2486、NAID 120006552004。
- ^ 三井嘉都夫「フォーラム都市研究-53-河川の汚濁化はかくして解消されてきた--岳南地域の諸河川から」『地理』第33巻第10号、古今書院、1988年10月、8-12頁、ISSN 0577-9308、NAID 40002445266。
- ^ 「日本陸水学会の思い出 : 吉村信吉先生(1907-1947)を中心として」『陸水學雜誌』第57巻第2号、日本陸水学会、1996年6月1日、199-203頁、ISSN 0021-5104、NAID 10009841390。
- ^ 伊藤玄三「法政大学タクラマカン沙漠の調査」(pdf)『法政史学』第45巻、法政大学史学会、1993年3月24日、122-126頁、ISSN 0386-8893、NCID AN00225777。
- ^ a b c 新見治、鈴木裕一、田口雄作、森和紀「日本水文科学会の回顧と展望」『日本水文科学会誌』第37巻第4号、日本水文科学会、2007年、303-322頁、doi:10.4145/jahs.37.303、ISSN 1342-9612、NAID 130004545222、2020年9月10日閲覧。
- ^ 小寺浩二「笑顔が印象的な三井嘉都夫先生」『Waternews 陸水物理研究会会報』第14号、陸水物理研究会事務局(北海道大学大学院理学研究院 知北和久)、2014年12月20日、1頁。
- ^ 三井嘉都夫『人為による河床の変遷に関する地理学的研究』法政大学、1960年3月31日。 NAID 500000454587。 取得学位:文学博士、学位授与番号:[報告番号不明]
関連項目
[編集]関連文献
[編集]- 多田文男『自然環境の変貌:平野を中心として』東京大学出版会、1964年。ISBN 4130610511、ncid BN01790935。
- 三井嘉都夫教授還暦記念事業会(編)『環境科学の諸断面 : 三井教授還暦記念論文集』土木工学社、1982年。ISBN 4886240550。
- 「特集 三井嘉都夫先生の思い出, 座談会 三井嘉都夫先生を偲んで」『法政地理』法政大学地理学会、2012年3月22日。第44号、71-98。issn 0912-5728、ncid AN00226190。