三上喜三
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三上 喜三(みかみ きぞう、1892年(明治25年)8月3日[1] - 1972年(昭和47年)6月18日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]。
経歴
[編集]広島県出身[1][2]。1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校第27期卒業[3]。1926年(大正15年)12月、陸軍大学校第38期卒業[4]。
1937年(昭和12年)8月、陸軍航空本部第4課長を経て、1938年(昭和13年)3月、陸軍航空兵大佐に進んだのち、同年12月、飛行第61戦隊長となり[2]、ノモンハン事件に出動[1]。
1940年(昭和15年)3月、陸軍気象部長に就任した。1941年(昭和16年)3月、陸軍少将に進み、同年7月、陸軍中央気象部長に補され、1942年(昭和17年)4月、第22飛行団長に転じ[2]、第二次バターン半島攻略戦に加わった[1]。
1943年(昭和18年)8月、所沢陸軍航空整備学校長を経て、1944年(昭和19年)6月、陸軍中将に進級した[1][2]。
ついで同年10月、第4飛行師団長に親補され、フィリピンにて敢闘するものの壊滅[1]。第4航空軍も富永恭次司令官ら司令部の敵前逃亡により解散し、第14方面軍直属となり終戦を迎えた[1]。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[5]。
著書
[編集]- 『気象判断教程 秘・扱 陸軍気象部』陸軍気象部、1941年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。