三丁町
三丁町(さんちょうまち)は、福井県小浜市の小浜香取・飛鳥地区にある茶屋町。現在も古い家並みが残っている。
特色
[編集]福井県内に残る数少ない花街であり、今も芸妓を抱えている料亭もある。千本格子の家々が軒を連ね芸妓の三味線の音が流れ、情緒豊かな通りが残っている。
かつて西組・中組・東組に分かれていた小浜城の城下町のうち西組に属する。西組の町並みは、近隣の商家町や寺町を含め「小浜市小浜西組」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、伝統ある町並みの保護と活用が進んでいる。
小浜料亭事業協同組合は花街である三丁町の芸妓の世話を50年間してきたが、高齢化・後継者不足・宴会場の洋式化などの影響で、2008年(平成20年)3月31日に解散した。
範囲
[編集]三丁町は旧柳町・猟師町・寺町を含む地域の通称で、三つの町が名称の由来であるとされている[1]。柳町を中心に北側の猟師町、西側の旧青井町(寺町)、東南の旧清水町の一部で、東西2筋の道路に面したエリア。町筋の長さが3丁程度で名称の由来ともいわれる[2]。
江戸時代の寛文年間(1661年~1673年)には茶屋町として成立し、その頃小浜の夫代銀の半分を納めるほど繁栄していた[3]。江戸時代には一部が遊廓として栄えた。「蒙御免 小浜遊郭芸娼妓一月中花代番付」(大正9年2月6日付)によると東西の横綱・大関とされた者は、11000~14000円であった[4]。江戸時代末期に小浜を何度も大火が襲ったため、防火用に堀川を開削した。その際に遊女達も小浜奉行や町年寄らとともに献金し協力した[5]。昭和初期までは若狭を代表する歓楽街で、最盛期にはお茶屋が48軒あった[6]。
建築物について
[編集]「お茶屋」では土蔵がなく、トオリニワをもたない。ベンガラ塗りの出格子が主流で、庇に出窓が張り出している[7]。現在も面影が残る建築物は町並みと食の館(元料亭酔月)、蓬嶋楼。 一之瀬八男治口述による「廓くずし」(大正13年頃作詞と伝わる)に、当時あった置屋39軒の名称が並んでいる[8]。
登場作品
[編集]- 『波影』 1964年 水上勉 文藝春秋新社 (『文藝春秋』1964年4-6月号) のち角川文庫
- 戦前戦後の三丁町を舞台にした小説。主人公の世津子は三丁町に暮らし、その家で娼妓として働く雛千代と交流しながら成長する。1964年豊田四郎監督で映画化もされた。
脚注
[編集]- ^ 旧小浜町西組町並み保存調査委員会編『わかさ小浜の町並み』小浜市教育委員会文化課、1992年、19頁。
- ^ 『日本歴史地名大系 18 福井県の地名』平凡社、1981年、620頁。
- ^ 小浜町西組町並み協議会編『後瀬山歴史街道絵図』2008年。
- ^ 柴田伊左衛門『小浜五十二町ひろい歩き』後瀬書房、1996年、90頁。
- ^ 赤見貞『蜘蛛の網』若狭学術振興会、1971年、289頁。
- ^ 吉川博和『ふくい湊町ブルース下巻』福井新聞社、232頁。ISBN 9784990728557。
- ^ 旧小浜町西組町並み保存調査委員会編『わかさ小浜の町並み』小浜市教育委員会文化課、1992年、89頁。
- ^ 柴田伊左衛門『小浜五十二町ひろい歩き』後瀬書房、1996年、125-126頁。
外部リンク
[編集]- 茶屋町の情緒漂う紅殻格子三丁町 福井県
- 小浜西組重伝建地区について 小浜市
- 小浜西組町並み協議会
- 小浜市小浜西組 福井県の文化財
- 文化遺産オンライン 文化遺産オンライン