一関市住職親子強盗殺人事件
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一関市住職親子強盗殺人事件 | |
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場所 | 日本・岩手県一関市東山町田河津夏山 |
座標 | |
日付 | 2007年(平成19年)6月11日20時30分ごろ[1] (UTC+9〈日本標準時〉) |
概要 | 加害者の女Cが金銭強奪を目的として顔見知りの住職親子を殺害した[1] |
原因 | 借金を返済するため |
攻撃手段 | 刃物で刺す[2]・灰皿で殴る[3] |
攻撃側人数 | 1人 |
武器 | 刃体約23.5cmの包丁[4]・灰皿[3] |
死亡者 | 2人[1](AとB) |
犯人 | 女C(逮捕当時45歳・飲食店員[5]) |
容疑 | 強盗殺人罪 |
動機 | 借金返済 |
対処 | 岩手県警が被疑者Cを逮捕・盛岡地検が起訴 |
刑事訴訟 | 死刑[6](第一審判決 / 控訴中[7]に自殺[8][9]・公訴棄却 [7]) |
影響 | 一関市教育委員会が事件発生から数日間、田河津小学校(現在は閉校・統合)に通う児童2人の安全通学を呼びかけた |
管轄 |
一関市住職親子強盗殺人事件(いちのせきしじゅうしょくおやこごうとうさつじんじけん)とは、2007年(平成19年)6月11日に岩手県一関市で発生した強盗殺人事件[1]。
概要
[編集]事件の経緯
[編集]本事件の加害者である女C・S[10](姓名のイニシャル、以下「C」と表記 / 逮捕当時45歳)は夫(1988年婚姻 / Cとの間に二児を儲ける[10][11])の父親が経営する会社が倒産し[5]、夫が仕事を転々としたため、生活費のために2000年頃からクレジットカード会社から借り入れをするようになった[5]。2005年8月から夫やその両親に黙って債務を返済しようと、夫の叔母からの借入金200万で債務を一括返済した[5]。2005年9月には、夫が安定した仕事に就職して収入を得るようになり、C自身もラーメン店でパート勤務を続け収入を得ていた。稼動態度は非常に真面目であり、店長的な責任のある仕事を任されるほどであった[11]。家内においても家事や育児をこなし、本事件を起こす以前は犯罪とは無縁な生活を送っていた[11]。夫の親族らと共に6人で生活していたCは、自身の収入や夫の収入に加え、夫の両親の年金収入から固定資産税や冠婚葬祭の費用を賄い、生活費を補っていた[5]。しかし、2006年に夫の父親が肝臓癌で余命1年と宣告されたことで、Cは夫の父親の年金収入が得られなくなると危惧するようになり、2007年5月には、夫から「会社が倒産するかもしれない」と告げられ、家計が破綻するのではないかと不安に駆られる日々を送るようになった[5]。Cと夫は、パチンコへの浪費などが原因で1ヶ月で約10万円使うこともあり[12]、消費者金融業者やクレジットカード会社から借金をし続けたが、パチンコをやめたり、節約をするなど家計の見直しを考えることはなく[12]、事件が発生した2007年6月時点で借入金額は225万円に達し、Cは家計が逼迫する前に借金を返済したいと考えるようになった[12]。
2007年6月8日、他人から金銭を脅し取って、借金返済に充てようと考えたCは、勤務先のラーメン店から刃渡り約23.5cmの包丁を持ち出した[4]。2007年6月11日夜、Cは2週間前に一関市東山町田河津の遠應寺で父親の墓参りをした際に[注 1]、被害者A(当時81歳 / Bの実母)[13]が自分に話しかけてくれたことを思い出し、被害者B(当時59歳 / 同寺住職)[13]がパチンコを趣味としていて金銭を所持していると思えること、AとBの2人暮らしであることなどから寺に強盗に入り、2人を殺害することを決意した[4]。Cは事前にAに「相談がある」と電話を掛けて、寺に行くことを伝え、訪問客を装うために手土産としてフルーツゼリーを購入して、前述の包丁と手袋を入れた手提げ鞄を持ち、頭髪が遺留しないよう頭にバンダナを巻いて寺を訪問した[4]。
強盗・殺害
[編集]2007年6月11日午後8時30分頃、Cは寺の庫裏でA、Bと共にこたつを囲みながら談話をしていたが[14]、Aが席を離れた直後に突然手提げ鞄から包丁を取り出してBの腕を掴んで引き寄せ、殺意を持ってBの前胸部を包丁で刺した。Bは深さ約13cmもの傷を負い、倒れ込んだ[15]。その後Cは、部屋にあった灰皿を戻ってきたAの後頭部に複数回振り下ろし、逃げ回るAを執拗に追いかけ回した[15]。負傷しながらも反撃をするBをCは叩き払い[15]、必死に逃げるAの前に回り込んで、殺意を持って抵抗するAの首や胸、背中を繰り返し包丁で刺して、左総頚動脈・椎骨動脈等損傷による失血により死亡させて殺害した(強盗殺人罪)[15]。Bは胸への刺突行為で瀕死状態にもかかわらず最後の力を振り絞り、受話器に手を伸ばそうとしていたが、それを発見したCは受話器を取り上げ、とどめとして再びBの左側胸部を突き刺して、Bを肝刺創による出血性ショックで死亡させて殺害した(強盗殺人罪)[15]。
Cは2人を殺害後、右手指に怪我をして出血していることに気づき、その場にあった輪ゴムで止血した[16]。その後Cは、持参した手袋をつけて物色を始め、A又はBが所有していた現金約15万円を強取した[3]。右手指から出血が続いていたCは、血液から自身の犯行が発覚することを恐れて、「他人の血液と混合すれば血液の鑑別ができなくなるのではないか」と考えて、Aの体から流れ出てきた血だまりに手袋を浸した[16]。その後、Cは素手で触った受話器やAを殴った灰皿を持ち出し、現場から逃走し、一連の犯行に使用した包丁は北上川に捨てた[17]。
事件発生後の経過
[編集]- 2007年6月12日午後6時45分頃には被害者宅に隣人の男性が回覧板を届けたが、家から応答はなく、玄関は無施錠だった。
- 2007年6月14日午前8時過ぎ、Bの知人の僧侶2人がAとBの遺体を発見した。
- 2007年6月15日、岩手県警捜査一課の司法解剖によりAとBの死因が特定される。
- 2007年12月5日、岩手県警がCを本事件の被疑者として強盗殺人容疑で逮捕した[18]。
- 2007年12月7日、Cと接見した弁護士が報道陣の取材に応じ、C自身以外の借金が約2000万円あったことを明かした[19]。
- 2007年12月26日、盛岡地検がCを強盗殺人罪で盛岡地裁に起訴した[20]。
刑事裁判
[編集]第一審・盛岡地裁
[編集]公判前整理手続
[編集]2008年4月23日の第二回公判前整理手続で弁護側は「住職から侮辱的な言葉を浴びて衝動的に殺害した後に自宅にあった現金を奪った」というCの供述内容を明かし、殺人罪と窃盗罪を主張していく方針を示した。
初公判
[編集]盛岡地裁における事件記録符号(事件番号)は「平成19年(わ)第300号」(強盗殺人)[21]。審理は盛岡地裁刑事部(佐々木直人裁判長)が担当した[21]。
2008年9月16日に本事件の裁判の初公判が盛岡地裁(佐々木直人裁判長)で開かれた[22]。検察側は冒頭陳述で「Cが寺を訪問する際に手袋やバンダナを使用し、指紋や毛髪を遺留しないようにした」と計画性が高いことを指摘した。争点となった殺害時点での強盗目的の有無に関しては、「事前にどこかの家の家人を皆殺しにして金を奪おうと考えた」と主張し、極刑を求める遺族の供述調書を朗読した。一方で弁護側は、犯行時CがBの近くに座った際にBの体格が想像より大きかったことから強盗の犯意を喪失したため、借金を申し込んだが、Bから「金はあるけど貸せない。D(Cの母親)は体売って男から貰ってた。おめもその血を引いてるんだから、体で金稼げ」と言われ[23]、Cが子供の頃、Dと(Cの)伯父が抱き合ってる場面や伯父と一緒にいた母親Dが現金を手にしていたのを目撃していたこともあって、その言葉に激昂し殺害したため強盗の犯意はなかったとし[23]、殺人と窃盗罪に留まると主張した。
論告・死刑求刑
[編集]2008年9月24日に論告求刑公判が開かれ、盛岡地検の検察官は被告人Cに死刑を求刑した[24]。
判決・死刑
[編集]2008年10月8日に判決公判が開かれ、盛岡地方裁判所(佐々木直人裁判長)は検察の求刑通り被告人Cに死刑判決を言い渡した[6]。裁判長は判決理由でCに強盗の目的があったことを認定し、「計画的に強盗目的で寺に行き、強固な殺意に基づいて殺害行為を貫徹したものと評価するほかない、冷酷非情なものであり、他人の生命を一顧だにしない鬼畜の所業以外のなにものでもない」と指摘した[15]。またDと伯父の不貞行為に関してBが発言したと主張した侮辱的な言葉については「2人に性的関係がなく侮辱的な発言が存在しなかったと断定できない」とした上で[25]、「Bによる(侮辱的な)発言があったと仮定してもその発言のみによって、一旦はAとBに対する強盗殺人の犯意を失っていたCに再び殺意を抱かせるに十分なものとは考えられない。言葉に立腹した行動として常軌を逸している」として弁護側の主張を退けた[26]。その上で、「これまでの犯罪とは無縁な生活や飲食店稼働の誠実さなどから更生可能性を最大限酌量しても、被告人の刑事責任は極めて重く、罪刑均衡の見地からも、一般予防の見地からも、被告人に対して極刑をもって臨むほかない」と結論付けた[27]。遺族は盛岡市内で開かれた会見で、「死刑判決は当然。判決が確定、執行されても殺された2人(AとB)や団欒の場が戻ってくるわけではない」と述べた。
自殺・公訴棄却
[編集]死刑判決を受け、Cは2008年11月中旬に宮城刑務所に隣接する仙台拘置支所に移送された[9]。
移送から約1ヶ月後の2008年12月28日午前11時35分ごろ、仙台高裁に控訴中で仙台拘置支所に収容されていた被告人Cは、同所の独居房において窓枠にシーツを括り付け縊死して自殺した(46歳没)[8][9]。Cは仙台市内の病院に運ばれたが、同日午後0時45分に死亡が確認された。Cは遺書と見られる手紙を残している[9]。同所では15分毎に職員が巡回しているが、自殺が発見される前の巡回時にはCは読書をしていた。
生前、Cは強盗目的の犯行であったことを否定したが、「2人が戻ってくることはない。命を持って償うしかない」と死刑を受け入れる姿勢を見せ、弁護士には控訴する意思表示を見せなかったという。
Cの死亡を受け、2009年1月8日に刑事訴訟法に基づき本事件は公訴棄却されることとなった[7]。
脚注
[編集]以下の出典において、記事名に実名が使われている場合、その箇所を伏字としている。
注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 盛岡地裁 2008, 罪となるべき事実.
- ^ 盛岡地裁 2008, 罪となるべき事実1.
- ^ a b c 盛岡地裁 2008, 罪となるべき事実2.
- ^ a b c d 盛岡地裁 2008, 証拠関係等より容易に認められる事実3.
- ^ a b c d e f 盛岡地裁 2008, 証拠関係等より容易に認められる事実2.
- ^ a b “住職親子殺害で女に死刑”. 四国新聞 (四国新聞). (2008年10月8日)
- ^ a b c 『毎日新聞』2009年1月11日地方版「拘置所の自殺防止、徹底を」(毎日新聞社)
- ^ a b “仙台拘置支所の女性被告が自殺”. 四国新聞 (四国新聞). (2008年12月29日)
- ^ a b c d e 「死刑判決のC被告が自殺 一関・住職親子強殺事件」『河北新報』河北新報、2008年12月29日。オリジナルの2008年12月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c 「【衝撃事件の核心】「岩手住職親子殺害」返り傷の血痕DNAから浮上「明るいオバさん」…何を「侮辱」されたのか」『産経デジタル』産経デジタル、2007年12月15日。オリジナルの2007年12月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c 盛岡地裁 2008, 酌量すべき点4.
- ^ a b c 盛岡地裁 2008, 本件犯行に至る経緯及び動機2.
- ^ a b c 盛岡地裁 2008, 証拠関係等より容易に認められる事実1.
- ^ 盛岡地裁 2008, 証拠関係等より容易に認められる事実4.
- ^ a b c d e f 盛岡地裁 2008, 犯行態様ア.
- ^ a b 盛岡地裁 2008, 証拠関係等より容易に認められる事実5.
- ^ a b c 盛岡地裁 2008, 犯行後の情状等1.
- ^ “強盗殺人容疑で女逮捕、住職と母親殺害事件”. 四国新聞 (四国新聞). (2007年12月5日)
- ^ 「女店員に借金2300万円 岩手の住職ら強殺」『産経デジタル』産経デジタル、2007年12月7日。オリジナルの2008年2月17日時点におけるアーカイブ。
- ^ “岩手の住職ら強盗殺人事件で店員起訴”. 四国新聞 (四国新聞). (2007年12月26日)
- ^ a b 盛岡地裁 2008.
- ^ 『岩手日報』2008年9月17日朝刊「偽DNAで無関係装う 住職親子殺人で初公判」(岩手日報社)
- ^ a b 盛岡地裁 2008, 殺害時における強盗目的の有無について2.
- ^ 「元店員の女に死刑求刑=住職と母強盗殺人−盛岡地裁」『時事通信社』時事通信社、2008年9月24日。オリジナルの2008年9月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ 盛岡地裁 2008, 殺害時における強盗目的の有無について3イ.
- ^ 盛岡地裁 2008, 殺害時における強盗目的の有無について4.
- ^ 盛岡地裁 2008, 被告人の量刑判断.