一色直温
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一色 直温(いっしき なおあつ、生没年不明)は、江戸時代末期(幕末)の旗本。一色直頂の子。官位は従五位下・山城守のち摂津守。通称は邦之輔。
来歴
[編集]天保14年(1843年)11月に小納戸、同年12月小姓に。弘化2年(1845年)6月使番、嘉永5年(1852年)5月目付(御勝手掛、海防掛)となり、安政元年(1854年)6月の幕政改革において積極的に改革実行の意見を具申し、軍制改正御用掛を命ぜられた。安政4年(1857年)大目付土岐頼旨・井戸覚弘・目付鵜殿長鋭とともに琉球人参府用掛に任命された[1]。安政5年(1858年)2月堺奉行、同年9月大坂町奉行と歴任し、万延2年(1861年)1月勘定奉行に昇進。同年10月外国奉行となり、文久2年(1862年)生麦事件の後処理に関して英国代理大使ニールの元に津田正路とともに派遣されたが、ニールは交渉に応じず老中宛の抗議文を渡された。同年12月に再び勘定奉行となる。文久3年(1863年)一橋家家老となり、元治元年(1864年)6月大目付となり、同年7月書院番頭となり、元治2年(1865年)1月辞職し寄合となるが、慶応2年12月(1867年)製鉄所奉行、慶応4年(1868年)閏4月に江戸幕府の終焉とともに御役御免となった。
参考文献
[編集]- 柳営補任
- 明治維新人名事典(日本歴史学会、1981年)
脚注
[編集]- ^ 『幕藩制国家の琉球支配』紙屋敦之著、1990年、P272