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一色直温

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

一色 直温(いっしき なおあつ、生没年不明)は、江戸時代末期(幕末)の旗本。一色直頂の子。官位は従五位下・山城守のち摂津守。通称は邦之輔。

来歴

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天保14年(1843年)11月に小納戸、同年12月小姓に。弘化2年(1845年)6月使番嘉永5年(1852年)5月目付(御勝手掛、海防掛)となり、安政元年(1854年)6月の幕政改革において積極的に改革実行の意見を具申し、軍制改正御用掛を命ぜられた。安政4年(1857年大目付土岐頼旨井戸覚弘・目付鵜殿長鋭とともに琉球人参府用掛に任命された[1]。安政5年(1858年)2月堺奉行、同年9月大坂町奉行と歴任し、万延2年(1861年)1月勘定奉行に昇進。同年10月外国奉行となり、文久2年(1862年生麦事件の後処理に関して英国代理大使ニールの元に津田正路とともに派遣されたが、ニールは交渉に応じず老中宛の抗議文を渡された。同年12月に再び勘定奉行となる。文久3年(1863年一橋家家老となり、元治元年(1864年)6月大目付となり、同年7月書院番頭となり、元治2年(1865年)1月辞職し寄合となるが、慶応2年12月(1867年製鉄所奉行慶応4年(1868年)閏4月に江戸幕府の終焉とともに御役御免となった。

参考文献

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  • 柳営補任
  • 明治維新人名事典(日本歴史学会、1981年)

脚注

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  1. ^ 『幕藩制国家の琉球支配』紙屋敦之著、1990年、P272