一瀬栄正
表示
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 天正4年11月11日(1576年12月1日) |
改名 | 田中栄正→一瀬栄正 |
戒名 | 庵□ |
主君 | 大村純忠 |
妻 | 中浦純吉妹 |
子 | 治部大輔栄相 |
一瀬 栄正(いちのせ ひでまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・キリシタン。大村氏の家臣。
略歴
[編集]朝長純利と共に大村氏を支え、合戦で多くの戦功を挙げた。栄正の姓が一瀬となった由来は、大村氏に味方する長崎領主・長崎純景が深堀純賢の攻撃を受けた際、援軍に駆けつけ、一瀬口で戦功を挙げたため、主君・大村純忠から「一瀬」の姓を賜ったからである。また、栄正は、永禄6年(1563年)に大村純忠と共にコスメ・デ・トーレス神父から洗礼を受けた重臣25名の一人である。天正4年(1576年)、死去。
今富のキリシタン墓碑
[編集]長崎県指定史跡である「今富のキリシタン墓碑」は栄正の墓碑であるが、2007年7月に大村史談会の調査で、墓碑上部に刻まれた「慶長19年」という年号と「庵□」(□は解読不能)という名前のような文字が刻まれていることが確認された。墓碑を調査した大石一久は栄正の子である栄相が、大村藩の禁教政策が強化される中、母・中浦氏の墓碑に父・栄正の仏式戒名を刻み夫婦墓としたとしている。
出典
[編集]- 「大村史談 第19号」(大村史談会)
- 「日本キリシタン墓碑総覧」(長崎文献社)