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一瀬栄正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
一瀬栄正
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正4年11月11日1576年12月1日
改名 田中栄正→一瀬栄正
戒名 庵□
主君 大村純忠
中浦純吉
治部大輔栄相
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一瀬 栄正(いちのせ ひでまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将キリシタン大村氏の家臣。

略歴

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朝長純利と共に大村氏を支え、合戦で多くの戦功を挙げた。栄正の姓が一瀬となった由来は、大村氏に味方する長崎領主・長崎純景深堀純賢の攻撃を受けた際、援軍に駆けつけ、一瀬口で戦功を挙げたため、主君・大村純忠から「一瀬」の姓を賜ったからである。また、栄正は、永禄6年(1563年)に大村純忠と共にコスメ・デ・トーレス神父から洗礼を受けた重臣25名の一人である。天正4年(1576年)、死去。

今富のキリシタン墓碑

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長崎県指定史跡である「今富のキリシタン墓碑」は栄正の墓碑であるが、2007年7月に大村史談会の調査で、墓碑上部に刻まれた「慶長19年」という年号と「庵□」(□は解読不能)という名前のような文字が刻まれていることが確認された。墓碑を調査した大石一久は栄正の子である栄相が、大村藩禁教政策が強化される中、母・中浦氏の墓碑に父・栄正の仏式戒名を刻み夫婦墓としたとしている。

出典

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  • 「大村史談 第19号」(大村史談会)
  • 「日本キリシタン墓碑総覧」(長崎文献社)