一栗高春
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一栗 高春(いちくり たかはる、? - 慶長19年6月1日(1614年7月7日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。豊後守。兵部。大崎氏家臣一栗放牛の孫。
天正18年(1590年)に起こった葛西大崎一揆の際には、祖父と共に一揆方につき佐沼城に籠城し、攻め寄せる伊達政宗らの率いる大軍を相手に奮戦したが城は落城、高春は落城寸前に落ち延びることとなった(祖父・放牛は城で戦死、92歳であったという)。
逃亡後、高春の武勇を買った最上義光に1000石で召抱えられ鶴岡城の城番を任される信頼を得た。 慶長19年(1614年)の大坂冬の陣直前に、義光の三男清水義親と共に大坂方に通じている嫌疑をかけられ、新関久正に誅殺された。