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一条顕子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

一条 顕子(いちじょう あきこ、1725年享保10年) - 1749年8月24日寛延2年7月12日))は、江戸時代中期の女性。一橋徳川家初代当主・徳川宗尹御簾中。院号は深達院。別名は俊姫知姫

生涯

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太政大臣一条兼香の娘として生まれる。母は梅町。はじめは清水徳川家徳川重好に嫁ぐこととなっていたが、一橋徳川家初代当主の徳川宗尹の正室となった[1][2]

宗伊との間には1743年寛保3年)に長男で後に松平宗矩の養子となる松平重昌を出産[3]

1749年8月24日寛延2年7月12日)、死去[4]

脚注

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  1. ^ 清水徳川家の系譜に俊姫の名前が残っている。
  2. ^ 一条(一條)家(摂家)”. 世界帝王辞典. 2024年10月14日閲覧。
  3. ^ 1996年,続群書類従完成会『江戸幕府政治史研究』
  4. ^ 2008年,パレード『徳川将軍家墓碑総覧』