一条顕子
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一条 顕子(いちじょう あきこ、1725年(享保10年) - 1749年8月24日(寛延2年7月12日))は、江戸時代中期の女性。一橋徳川家初代当主・徳川宗尹の御簾中。院号は深達院。別名は俊姫、知姫。
太政大臣・一条兼香の娘として生まれる。母は梅町。はじめは清水徳川家の徳川重好に嫁ぐこととなっていたが、一橋徳川家初代当主の徳川宗尹の正室となった[1][2]。
宗伊との間には1743年(寛保3年)に長男で後に松平宗矩の養子となる松平重昌を出産[3]。
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