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一条郁子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

一条 郁子(いちじょう いくこ、1729年2月18日享保14年1月21日[1]) - 1808年12月4日文化5年10月17日[1]))は、江戸時代中期の女性。水戸藩第5代藩主・徳川宗翰御簾中。院号は俊祥院。別名は絢君郁子。諡は端懿夫人

生涯

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太政大臣一条兼香の娘として生まれる[2]。母は梅町。1743年寛保3年)、徳川宗翰の正室として嫁ぐも宗翰との間に子供はできなかった。その後、側室美衛(智仙院)が産んだ徳川治保を養子にしている。

1808年文化5年)、死去[1]

脚注

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  1. ^ a b c 『常陸太田市史 通史編 上』(常陸太田市、1984年)p.761
  2. ^ 徳川(德川)氏(御三家・紀伊徳川家)”. 世界帝王辞典. 2023年5月12日閲覧。