一條實昭
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(一条実昭から転送)
いちじょう さねあき 一條 實昭 | |
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生誕 |
1945年8月6日(79歳) 大日本帝国 |
現況 | 2020年(令和2年)現在活動中 |
住居 | 大日本帝国 → 日本 |
国籍 | 大日本帝国 → 日本 |
出身校 | 中央大学法学部 |
職業 | 弁護士 |
活動期間 | 1973年 - |
時代 | 昭和時代後期 - |
雇用者 | アンダーソン・毛利・友常法律事務所 |
団体 | 第一東京弁護士会 |
活動拠点 | 日本 |
肩書き | アンダーソン・毛利・友常法律事務所「顧問」 |
配偶者 | 一條保子(波多洋平の長女) |
子供 | 一条実綱(次期第29代当主) |
親 |
父:一條實文(第27代当主) 母:一條好子(松平頼庸の長女) |
受賞 | 主な受賞歴を参照。 |
一條 實昭(いちじょう さねあき、1945年(昭和20年)8月6日 - )は、日本の弁護士。かつての摂家・公爵家である一条家の第28代当主[1][2]。アンダーソン・毛利・友常法律事務所顧問[3]。一條實文の子。また、吉良義央の九世子孫[4] にあたる[5]。子で次期一条家当主に一条実綱がいる[6]。
経歴
[編集]- 学習院初等科・中等科を経て、1964年(昭和39年)3月学習院高等科卒業[3][7]
- 1968年(昭和43年)3月 : 中央大学法学部卒業(法学士)[3]
- 1973年(昭和48年)4月 : 最高裁判所司法研修所修了(25期)。弁護士登録(第一東京弁護士会)。アンダーソン・毛利・ラビノウィッツ法律事務所(現・アンダーソン・毛利・友常法律事務所)に入所[3]
- 1978年(昭和53年)9月 - 1980年(昭和55年)1月 : 米国ニューヨーク大学スクール・オブ・ロー(LL.M.)[3]
- 1980年(昭和55年)
- 1982年(昭和57年)1月 : アンダーソン・毛利・ラビノウィッツ法律事務所パートナー就任[3]
- 2002年(平成14年) - 2016年(平成28年) : 東京簡易裁判所民事調停委員[3]
- 2004年(平成16年) - 2005年(平成17年) : 日本弁護士連合会「自由と正義」編集委員会委員長[3]
- 2014年(平成26年)
- 2016年(平成28年)1月 : アンダーソン・毛利・友常法律事務所顧問に就任[3]
主な受賞歴
[編集]- Best Lawyers 2010(2010年(平成22年)9月14日)
- Best Lawyers 2012(2012年(平成24年)7月17日)
- Who's Who Legal: Japan 2015(2015年(平成27年)9月1日)
- Who's Who Legal: Japan 2016(2016年(平成28年)11月2日)
- Who's Who Legal: Japan 2017(2017年(平成29年)11月2日)
- Best Lawyers 2020(2019年(平成31年)4月4日)
- Who's Who Legal: Japan 2019(2019年(令和元年)11月29日)
- Best Lawyers 2021(2020年(令和2年)4月9日)
脚注
[編集]- ^ a b “【桂宮殿下薨去】葬儀司祭長に一條氏 記帳は16日終了”. 産経ニュース (産業経済新聞社). (2014年6月12日) 2017年11月23日閲覧。
- ^ “御生家 一條家当主 一條實昭氏に聴く”. 明治神宮. 2017年12月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k “一條 實昭 : アンダーソン・毛利・友常法律事務所”. アンダーソン・毛利・友常法律事務所. 2017年11月23日閲覧。
- ^ 雲孫の子。雲孫よりあとの末孫は定まった呼称がない。
- ^ 義央-菊姫(大炊御門経音室)-経秀-家孝-経久-家信-師前-一条実孝-実文-実昭-実綱
- ^ “土佐一条公家行列「藤祭り」について”. 中村商工会議所公式サイト. 2017年11月23日閲覧。
- ^ a b “祭詞を認める”. 比々多神社 (2014年6月18日). 2017年11月23日閲覧。
- ^ “2014年 中高等科桜友会総会・講演会・懇親会開催報告”. 学習院桜友会中等科・高等科桜友会 (2014年2月22日). 2017年11月23日閲覧。