一乗院
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一乗院(いちじょういん)は、奈良県奈良市の興福寺にあった塔頭の一つ。天禄元年 (970年) 、興福寺別当定昭によって建立される。
一乗院門跡
[編集]興福寺の塔頭の中でも門跡が入る院家の一つで、大乗院とともに門主は興福寺別当をつとめた(延暦寺における青蓮院に該当する)。
はじめは近衛家の子弟が門跡をつとめていたが、江戸時代初期以降は皇族が門跡となったため、門主は南都一乗院宮とよばれた。皇子も入寺する格式の高い門跡寺院として知られていた。また、京都御所の隣にも御里房(邸宅)があり、こちらは南都一乗院宮御里房とよばれた。中世に一乗院の属する南都の興福寺は、僧兵や衆徒(武士)も従え大和国の守護をつとめた一大武装勢力であり、比叡山の延暦寺と並び称され「南都北嶺」として恐れられた。室町幕府最後の将軍足利義昭(近衛尚通外孫)が還俗前に門主をしていた事でも知られている。
有名な門跡寺院であったが、廃仏毀釈により廃絶したため現在は存在せず(建物の一部は芳徳寺等の他の寺院に移築されている)、明治期に奈良県庁となり、その後奈良地方裁判所として使用されている。1964年に宸殿が唐招提寺に移築され、国の重要文化財として保存されている。
最後の門跡応昭(近衛忠熙の八男)は還俗し、華族となって水谷川忠起と名乗り、男爵となった。