コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ヴォーデモン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Vaudémont

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) グラン・テスト地域圏
(département) ムルト=エ=モゼル県
(arrondissement) ナンシー郡
小郡 (canton) メーヌ・オ・サントワ小郡
INSEEコード 54552
郵便番号 54330
市長任期 ジャン=クリストフ・ルテル
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Pays du Saintois
人口動態
人口 67人
2015年
人口密度 12人/km2
地理
座標 北緯48度25分03秒 東経6度03分25秒 / 北緯48.4175度 東経6.05694444444度 / 48.4175; 6.05694444444座標: 北緯48度25分03秒 東経6度03分25秒 / 北緯48.4175度 東経6.05694444444度 / 48.4175; 6.05694444444
標高 平均:m
最低:329 m
最高:541 m
面積 5.76km2
Vaudémontの位置(フランス内)
Vaudémont
Vaudémont
テンプレートを表示

ヴォーデモンVaudémont)は、フランスグラン・テスト地域圏ムルト=エ=モゼル県コミューン

地理

[編集]

ヴォーデモンは県南部にあり、ヴォージュ県に隣接する。ナンシーの南30kmに広がる広大なサントワの平原を見下ろしている。

ヴォーデモンは、シニャル・ド・ヴォーデモン(signal de Vaudémont)と呼ばれる、標高480mの長い岩の露頭の上に乗った中世の村である。村を見下ろすのは、かつてヴォーデモン伯英語版のものだった古いドンジョンである。この岩場の反対側は、モゼル丘陵の中に侵食されて残ったシオン丘である。ヴォーデモンとサグゾン=シオンの中間には、モーリス・バレスを記念した記念碑がある。

ヴォーデモンの気候は海洋性気候であるが、かなり大陸性気候の影響を受けている。気温は一日の間でも季節でも対照的である。冬は寒く、かなり湿気があるが、それにもかかわらず、凍結するほどの寒さになると乾燥する。夏は必ず晴天となることはないが暑い。秋には通常霧が起こり、風は頻繁であり時には暴風となる。地元では、隣接するサントワ地方より降水量が多くなる。標高が高いため、気候は温暖ではない。

由来

[編集]

ヴォーデモンの名は、ゲルマン神話の神ヴォータン(オーディン)から派生したとみられる。または、ゲルマン語の男性名Wado(n)から派生し、接尾辞の-montemがついたとみられる[1]

歴史

[編集]
ブリュヌオーの塔

いくつかの要素が、この地が紀元前5000年初期には、村の外側が新石器時代の城壁に囲まれていたことを示唆している。しかし、古代の間にこの地に人が定住した痕跡は見られない。集落が現れたのはおそらくメロヴィング朝時代で、シオンにあるキリスト教の教区に依存していた。

岩の露頭の上にあるこの戦略上の要所には、11世紀初めにロレーヌ公または彼の家臣がドンジョンを築いた。

11世紀終わり、初代のヴォーデモン伯ジェラールは城を拡張して住まいとした。続く数世紀の間、村が発展するにつれ、塔が点在する強力な城壁が築かれた。塔と城壁に囲まれた村は、三十年戦争でフランス軍がロレーヌ公国を軍事的に占領するまで存続した。17世紀、宰相リシュリューが城の破壊を命じた。

村には様々な遺跡が残る。さらに、17世紀から18世紀に再建された家屋の多くは、城の破壊の前に城のファサードを再利用したものである。

人口統計

[編集]
1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2015年
113 95 71 67 53 63 79 67

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2006年以降INSEE[3][4]

脚注

[編集]