コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ヴェルフ2世 (アルトドルフ伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴェルフ2世
Welf II.
アルトドルフ伯
ヴェルフ2世(ヴァインガルテン修道院のミニアチュール、1510年ごろ)

出生 960/70年
死去 1030年3月10日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国ボートマン
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ヴァインガルテン修道院
配偶者 イミツァ・フォン・ルクセンブルク
子女 ヴェルフ3世
クニグンデ
家名 ヴェルフ家
父親 アルトドルフ伯ルドルフ2世
母親 イタ・フォン・エーニンゲン
テンプレートを表示

ヴェルフ2世(Welf II., 960/70年 - 1030年3月10日)は、古ヴェルフ家出身でシュヴァーベンのアルトドルフ伯である。

生涯

[編集]

ヴェルフ2世はアルトドルフ伯ルドルフ2世と、シュヴァーベン公コンラート1世の娘イタとの間の息子である[1]。ヴェルフ2世はラーフェンスブルクに城を建設した[1]

1020年代に、ヴェルフはアウクスブルクおよびフライジングの司教と対立した[2]ハインリヒ2世の弟アウクスブルク司教ブルーノの宝物を略奪し、アウクスブルクの町を破壊した[3]

ヴェルフ2世は1024年にザーリアー家コンラート2世のローマ王選出に反対したが、最終的に折れざるを得なかった[4]。翌年、ヴェルフ2世はバーベンベルク家シュヴァーベン公エルンスト2世が起こした反乱に参加したが、1027年についに降伏した[5]。ヴェルフ2世は恐らく監禁中の1030年に死去し[6]、ヴァインガルテン修道院に埋葬された[7]

結婚と子女

[編集]

ヴェルフ2世はモーゼルガウ伯フリードリヒの娘イミツァと結婚し[1]、少なくとも2人の子女をもうけた。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c Freed 2016, p. 13.
  2. ^ Schneidmüller: Die Welfen, pp. 121ff.
  3. ^ Reuter, Germany, p. 204.
  4. ^ Reuter, Germany, p. 203.
  5. ^ Erkens, Konrad II. Herrschaft und Reich, pp. 77f.
  6. ^ Zotz, 'Welf II.,' col. 2144.
  7. ^ Schneidmüller: Die Welfen, p. 123.
  8. ^ a b Dick 2001, p. 804.

参考文献

[編集]
  • Freed, John B. (2016). Frederick Barbarossa: The Prince and the Myth. Yale University Press 
  • Dick, Madelyn Bergen (2001). "Welfs". In Jeep, John M. (ed.). Routledge Revivals: Medieval Germany (2001): An Encyclopedia. Routledge.
  • F-R. Erkens, Konrad II. Herrschaft und Reich des ersten Salierkaisers (Regensburg 1998).
  • Reuter, Timothy. Germany in the Early Middle Ages 800–1056. New York: Longman, 1991.
  • B. Schneidmüller: Die Welfen. Herrschaft und Erinnerung (819–1252). (Stuttgart, 2000), pp. 119–123.
  • A. Thiele, Erzählende genealogische Stammtafeln zur europäischen Geschichte Band I, Teilband 1 (Frankfurt/Main 1993).
  • T. Zotz, 'Welf II.,' in: Lexikon des Mittelalters (LexMA), Volume 8 (Munich, 1997), cols. 2143–2144.