ヴィンセント・アバト
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ヴィンセント・ジョゼフ・アバト(Vincent Joseph Abato[1], 1919年1月21日 - 2008年1月31日)は、アメリカのクラリネット奏者、サクソフォーン奏者[2]。名前の表記については、ジミー・アバト(Jimmy Abato)[3]、ジェームズ・アバト(James Abato)[4]、ヴィンセント・ジェームズ・アバト(Vincent James Abato)[5]、ヴィンセント・J・アバト(Vincent J. Abato)などのバリエーションがある。
ペンシルベニア州ウィルマーディンの生まれ。ボルチモアのピーボディ音楽院でギルバート・スタンゲ、ジュリアード音楽院でジャン・ウィリアムズの各氏にクラリネットを学ぶ。1939年9月からおよそ半年間グレン・ミラー楽団に在籍し、1940年2月からポール・ホワイトマン楽団、1941年にはクロード・ソーンヒル楽団にそれぞれ移籍した。その後、アルトゥール・ロジンスキやレオポルド・ストコフスキー等と共演したり、メトロポリタン歌劇場のオーケストラに参加したりして、クラシック音楽の分野の演奏家としての名声も得た。1944年にはポール・クレストンのサクソフォーン協奏曲の初演の独奏者を務めた。1948年にジュリアード音楽院にサクソフォーンの講座が創設された時には、その講座の講師となった[6]。