ヴィルヘルム・グスタフ・フォン・アンハルト=デッサウ
表示
ヴィルヘルム・グスタフ・フォン・アンハルト=デッサウ Wilhelm Gustav von Anhalt-Dessau | |
---|---|
アンハルト=デッサウ侯世子 | |
出生 |
1699年6月20日 |
死去 |
1737年12月16日(38歳没) |
配偶者 | ヨハンナ・ゾフィー・ヘッレ |
子女 | 一覧参照 |
家名 | アスカーニエン家 |
父親 | アンハルト=デッサウ侯レオポルト1世 |
母親 | アンナ・ルイーゼ・フェーゼ |
ヴィルヘルム・グスタフ・フォン・アンハルト=デッサウ(Wilhelm Gustav von Anhalt-Dessau, 1699年6月20日 - 1737年12月16日)は、プロイセン王国の軍人でアンハルト=デッサウ侯領の世子。アンハルト=デッサウ侯レオポルト1世と妃アンナ・ルイーゼ・フェーゼの長男。レオポルト2世とディートリヒの兄。
1706年から軍務に携わり、1713年にプロイセンの連隊長に就任、1719年にオスマン帝国の戦争に参戦、1734年のポーランド継承戦争で父やプリンツ・オイゲンと共にフランスと戦った。
しかし、1737年に父に先立って死去。弟のレオポルトが父の後継者となり、1747年の父の死後にアンハルト侯レオポルト2世となった。子供達は貴賤結婚で生まれたためアンハルト=デッサウ侯領の相続権はなかったが、1749年にレオポルト2世に年金を与えられ、同時に「フォン・アンハルト」の名乗りも許され、アンハルト伯家が創設された。
子女
[編集]1726年、平民のヨハンナ・ゾフィー・ヘッレ(1706年 - 1795年)と貴賤結婚、9人の子を儲けた。
- ヴィルヘルム(1727年 - 1760年)
- レオポルト・ルートヴィヒ(1729年 - 1795年)
- グスタフ(1730年 - 1757年)
- ヨハンナ・ゾフィー(1731年 - 1786年)
- フリードリヒ(1732年 - 1794年)
- ヴィルヘルミーネ(1734年 - 1781年)
- アルブレヒト(1735年 - 1802年)
- ハインリヒ(1736年 - 1758年)
- レオポルディーネ・アンネ(1738年 - 1808年)
また、ヘンリエッテ・マリアンネ・シャルディウスとの間に2人の庶子を儲けた。
- カール・フィリップ(1732年 - 1806年)
- ハインリヒ・ヴィルヘルム(1734年 - 1801年)