コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

PFCレフスキ・ソフィア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レフスキ・ソフィア
原語表記 Професионален футболен клуб Левски София
(Professional Football Club Levski Sofia)
愛称 Сините (The Blues)
Отбора на народа (The Team of the People)
Синята лавина (The Blue Avalanche)
創設年 1914年
所属リーグ ファーストリーグ
ホームタウン ソフィア
ホームスタジアム ゲオルギ・アスパルホフ・スタジアム
収容人数 25,000
代表者 ブルガリアの旗 ナスコ・シラコフ (86.6%)
Blue Bulgaria Trust (10%)
Minority shareholders (3.4%)
監督 ブルガリアの旗 スタニスラフ・ゲンチェフ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07ヴェルダー・ブレーメン戦でのレフスキ・ソフィア

プロフェシオナレン・フドボレン・クルプ・レフスキ・ソフィヤブルガリア語: Професионален футболен клуб Левски София, 英語: Professional Football Club Levski Sofia)は、ブルガリアの首都ソフィアを本拠地とするサッカークラブ。20回以上の優勝回数を有するブルガリアの古豪クラブである。クラブ名のレフスキは、ブルガリアの民族的英雄であるヴァシル・レフスキに由来する[1]

歴史

[編集]

1911年、学生によるスポーツクラブとして発足した[1]。正式にクラブとして登録されたのは1914年であり[1]、クラブとしてはこの年を公式な発足年としている。戦間期よりブルガリアで国内リーグ戦が始まり、1933年にはレフスキ・ソフィアが初優勝を果たした。

第二次世界大戦後、ブルガリアで共産党政権が成立した。ブルガリアを衛星国化せんとしたスターリンにとって、ブルガリアの民族的英雄の名を冠し、自由を尊ぶクラブが存在することは望ましくないことであった。そのため、1949年にクラブ名が「ディナモ・ソフィア」と変更された[1]

スターリンの死後にソ連でスターリン批判が進む中、1957年にクラブはかつての名称を取り戻したが[1]、レフスキの名称は反共産主義的なものと見做され1969年にはFDスパルタク・ソフィアと合併し「DFSレフスキ・スパルタク・ソフィア」と改称された[1]。1989年の東欧革命および共産党政権の崩壊に伴い創設時の「レフスキ・ソフィア」へ戻された[1]

1990年代前半に、レフスキ・ソフィアは、1993年・1994年・1995年と三年連続でブルガリアの優勝クラブとなった。当時のライバルとなるクラブにも大差で勝利を収めており、ブルガリア代表にもレフスキ・ソフィアから多くの選手が選ばれた。2000年より再びクラブは3連覇しており、クラブの好調期は続いている。2006年に再びリーグ優勝をすると、UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07では予選ラウンドでイタリアACキエーヴォ・ヴェローナなどを破り、ブルガリア勢として初めてグループリーグ進出を果たした[2]

2020年1月末、クラブの主出資者のボシュコフが強制・脅迫、公務員への贈賄、マネーロンダリングなどを理由に国際手配される。同年2月にクラブの株式85%を所有するポポフとともにアラブ首長国連邦当局に拘束された[3]

クラブ名遍歴

[編集]
  • 1914年: レフスキ・ソフィアとして創設。
  • 1949年: ディナモ・ソフィアに改名。
  • 1957年: レフスキ・ソフィアに改名。
  • 1969年: FDスパルタク・ソフィアと合併して、DFSレフスキ・スパルタク・ソフィアに改名。
  • 1985年: 合併を解消。FKヴィトシャ・ソフィアに改名。
  • 1989年: レフスキ・ソフィアに改名。

タイトル

[編集]

国内タイトル

[編集]
  • A PFG:26回
    • 1933, 1937, 1942, 1946, 1947, 1948-49, 1950, 1953, 1964-65, 1967-68, 1969-70, 1973-74, 1976-77, 1978–79, 1983-84, 1984-85, 1987-88, 1992-93, 1993-94, 1994-95, 1999-00, 2000-01, 2001-02, 2005-06, 2006-07, 2008-09
  • ブルガリアカップ:26回
    • 1942, 1946, 1947, 1949, 1950, 1956, 1957, 1959, 1967, 1969-70, 1970-71, 1975-76, 1976-77, 1978-79, 1981-82, 1983-84, 1985-86, 1990-91, 1991-92, 1993-94, 1997-98, 1999-00, 2001-02, 2002-03, 2004-05, 2006-07, 2021-22

国際タイトル

[編集]
  • なし

過去の成績

[編集]
First Professional Football LeagueBulgarian A Football Group
シーズン ディビジョン カップ スーパーカップ 欧州カップ
リーグ 順位
2008-09 A PFG 1位 30 21 6 3 57 18 69 準決勝敗退 UCL 予選3回戦敗退
UC 1回戦敗退
2009-10 A PFG 3位 30 17 6 7 57 26 57 ベスト16 優勝 UCL プレーオフ敗退
UEL グループリーグ敗退
2010-11 A PFG 2位 30 23 3 4 67 24 72 準々決勝敗退 UEL グループリーグ敗退
2011-12 A PFG 3位 30 20 2 8 61 28 62 準々決勝敗退 UEL 予選3回戦敗退
2012-13 A PFG 2位 30 22 5 3 59 20 71 準優勝 UEL 予選2回戦敗退
2013-14 A PFG 5位 38 19 5 14 59 39 62 準々決勝敗退 UEL 予選1回戦敗退
2014-15 A PFG 7位 32 17 5 10 66 33 56 準優勝
2015-16 A PFG 2位 32 16 8 8 36 18 56 準々決勝敗退
2016-17 ファーストリーグ 3位 36 18 9 9 50 31 63 ベスト16 UEL 予選2回戦敗退
2017-18 ファーストリーグ 3位 36 18 10 8 55 27 64 準優勝 UEL 予選2回戦敗退
2018-19 ファーストリーグ 3位 36 20 6 10 64 37 66 ベスト16 UEL 予選1回戦敗退
2019-20 ファーストリーグ 4位 31 15 8 8 50 30 53 準決勝敗退 UEL 予選2回戦敗退
2020-21 ファーストリーグ 8位 32 11 8 13 34 32 41 準々決勝敗退
2021-22 ファーストリーグ 4位 31 15 7 9 38 27 52 優勝
2022-23 ファーストリーグ 4位 35 17 10 8 47 22 61 UECL 予選3回戦敗退

欧州の成績

[編集]

歴代監督

[編集]
名前 国籍 在任期間
イヴァン・ラドエフブルガリア語版  ブルガリア 1946-1948
ショムライ・レジェー英語版  ハンガリー 1948-1949
イヴァン・ラドエフブルガリア語版  ブルガリア 1950
リュボミル・ペトコフ英語版  ブルガリア 1952
ディミタル・ムタフチエフ英語版  ブルガリア 1953
ヴァシル・スパソフブルガリア語版  ブルガリア 1954-1956
ゲオルギ・パチェジエフ英語版  ブルガリア 1956-1960
コツェ・ゲオルギエフブルガリア語版  ブルガリア 1960-1961
クラスティオ・チャカロフブルガリア語版  ブルガリア 1961-1964
フリスト・ムラデノフ英語版  ブルガリア 1964-1965
ルドルフ・ヴィトラチル英語版 チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア 1965-1966
クラスティオ・チャカロフブルガリア語版  ブルガリア 1966–1969
ヴァシル・スパソフブルガリア語版  ブルガリア 1969
ルドルフ・ヴィトラチル英語版 チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア 1969–1970
ヨンチョ・アルソフブルガリア語版  ブルガリア 1971–1973
ディミタル・ドイチノフブルガリア語版  ブルガリア 1973–1975
イヴァン・ヴツォフ英語版  ブルガリア 1975–1976
ヴァシル・スパソフブルガリア語版  ブルガリア 1976–1977
イヴァン・ヴツォフ英語版  ブルガリア 1977–1980
フリスト・ムラデノフ英語版  ブルガリア 1980–1982
ドブロミル・ジェチェフ英語版  ブルガリア 1982–1983
ヴァシル・メトディエフ英語版  ブルガリア 1983–1985
キリル・イヴコフ英語版  ブルガリア 1985–1987
パヴェル・パノフ英語版  ブルガリア 1986–1987
ヴァシル・メトディエフ英語版  ブルガリア 1988–1989
ドブロミル・ジェチェフ英語版  ブルガリア 1989
パヴェル・パノフ英語版  ブルガリア 1989–1990
ヴァシル・メトディエフ英語版  ブルガリア 1991
ディンコ・デルメンジエフ英語版  ブルガリア 1991
イヴァン・ヴチョフ英語版  ブルガリア 1992–1993
アンドレイ・ジェリャズコフ  ブルガリア 1992–1997
ゲオルギ・ヴァシレフ英語版  ブルガリア 1993–1995
イヴァン・キウチュコフブルガリア語版  ブルガリア 1995–1996
ゲオルギ・ツヴェトコフブルガリア語版  ブルガリア 1996–1997
ステファン・グロズダノフ英語版  ブルガリア 1997
ミハイル・ヴァルチェフ英語版  ブルガリア 1998
ヴャチェスラフ・フロズニー英語版  ウクライナ 1998
アンゲル・スタンコフブルガリア語版  ブルガリア 1999
リュプコ・ペトロヴィッチ セルビアの旗 セルビア 1999–2000
ディミタル・ディミトロフ英語版  ブルガリア 2000
ウラジーミル・フェドートフ ロシアの旗 ロシア 2000
リュプコ・ペトロヴィッチ セルビアの旗 セルビア 2000–2001
ゲオルギ・トドロフブルガリア語版  ブルガリア 2000.7–2001.7
ルディガー・アブラムチク英語版 ドイツの旗 ドイツ 2000.7-2001.6
スラヴォリュブ・ムスリン セルビアの旗 セルビア 2001.7-2003.3
ゲオルギ・トドロフブルガリア語版  ブルガリア 2003–2004
ゲオルギ・ヴァシレフ英語版  ブルガリア 2003–2004
スタニミル・ストイロフ英語版  ブルガリア 2004.6-2008.5
ヴェリスラフ・ヴチョフ英語版  ブルガリア 2008
エミル・ヴェレフ英語版  ブルガリア 2008.8-2009.7
ラトコ・ドスタニッチ英語版 セルビアの旗 セルビア 2009,7-2010.10
ゲオルギ・イヴァノフ英語版  ブルガリア 2009.10–2010.6
アントニ・ズドラヴコフ  ブルガリア 2009-2010
ヤセン・ペトロフ英語版  ブルガリア 2010.7–2011.5
ゲオルギ・イヴァノフ英語版  ブルガリア 2011.6-2011.11
アントニ・ズドラヴコフ  ブルガリア 2011
ニコライ・コストノフ英語版  ブルガリア 2011.11-2012.3
ゲオルギ・イヴァノフ英語版 (暫定監督)  ブルガリア 2012.3-2012.4
ヤセン・ペトロフ英語版  ブルガリア 2012.4-2012.5
イリアン・イリエフ英語版  ブルガリア 2012.7–2013.4
ニコライ・ミトフ英語版  ブルガリア 2013.4-2013.7
スラヴィシャ・ヨカノヴィッチ セルビアの旗 セルビア 2013.7-2013.10
アントニ・ズドラヴコフ  ブルガリア 2013.10-2014.3
エリン・トプザコフ  ブルガリア 2014.3-2014.6
ホセ・ムルシア・ゴンサレス スペインの旗 スペイン 2014.6-2014.8
ゲオルギ・イヴァノフ英語版  ブルガリア 2014.8-2014.12
ストイチョ・ストエフ英語版  ブルガリア 2014.12-2016.5
リュプコ・ペトロヴィッチ セルビアの旗 セルビア 2016.5-2016.10
エリン・トプザコフ  ブルガリア 2016.10-2017.3
ニコライ・ミトフ英語版  ブルガリア 2017.3-2017.8
デリオ・ロッシ イタリアの旗 イタリア 2017.8–2018.7
スラヴィシャ・ストヤノヴィチ英語版 ロシアの旗 ロシア 2018.7-2019.1
ゲオルギ・デルメンジエフ英語版  ブルガリア 2019.1-2019.4

歴代所属選手

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 「素晴らしきエンブレムの世界 File071 レフスキ・ソフィア」『週刊サッカーマガジン』 2009年12月1日号、ベースボール・マガジン社、88頁。 
  2. ^ Levski make Bulgarian history”. Uefa.com. 2007年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月1日閲覧。
  3. ^ ブルガリア月報 2020年2月 p8”. 在ブルガリア日本国大使館 (2020年3月). 2020年12月30日閲覧。

外部リンク

[編集]
公式サイト
その他