ヴィタリー・チュルキン
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ヴィタリー・チュルキン Виталий Чуркин | |
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生年月日 | 1952年2月21日 |
出生地 |
ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 モスクワ |
没年月日 | 2017年2月20日(64歳没) |
死没地 | アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク |
出身校 | モスクワ国際関係大学 |
称号 | 歴史学博士候補 |
配偶者 | イリーナ・チュルキナ |
子女 | 2人 |
在任期間 | 2006年4月8日 - 2017年2月20日 |
大統領 |
ウラジーミル・プーチン ドミートリー・メドヴェージェフ ウラジーミル・プーチン |
ヴィタリー・イヴァノヴィチ・チュルキン(ロシア語: Вита́лий Ива́нович Чу́ркин、ラテン文字転写の例:Vitalii Ivanovich Churkin、1952年2月21日 − 2017年2月20日[1])は、ロシア連邦の外交官。国際連合大使、国際連合安全保障理事会代表。
人物
[編集]1952年2月21日、モスクワに誕生する。1974年にモスクワ国際関係大学を卒業し、ソ連外務省に入省する。1990年にソ連外務省情報局長。在職中にソ連崩壊を迎えるが、ロシア外務省にそのまま移る。1992年、外務次官。1994年、ベルギー大使。1998年、カナダ大使。2003年に外務省本省に戻り、無任所大使。北極理事会で上級代表委員会議長も務めた。
歴史学博士候補。英語とフランス語に堪能で、ソ連時代からアメリカのニュース・インタビュー番組に通訳無しで出演していた。
2017年2月20日、ロシア連邦国際連合代表部での執務中にニューヨークで急逝した[1][2]。64歳没。検死はニューヨーク市検死局によって行われたが、死後も外交特権が継続していることを理由として死因は公表されていない[3]。
出典
[編集]- ^ a b c ロシア国連大使ヴィタリー・チュルキンがニューヨークで逝去 - RIAノーボスチ (Постпред России при ООН Виталий Чуркин скоропостижно скончался в Нью-Йорке - РИА Новости) - 2017年2月20日
- ^ “ロシアの国連大使が急死 執務中に突然異変、心臓発作か”. アサヒ・コム. 朝日新聞社. (2017年2月21日). オリジナルの2017年2月22日時点におけるアーカイブ。 2017年2月21日閲覧。
- ^ SOMINI SENGUPTA (2017年3月10日). “New York Examiner Won’t Disclose Cause of Russian Envoy’s Death” (English). New York Times. オリジナルの2017年3月12日時点におけるアーカイブ。 2017年3月12日閲覧。
外部リンク
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