ヴァレリウス・デ・サーデレール
ヴァレリウス・デ・サーデレール Valerius de Saedeleer | |
---|---|
生誕 |
1867年8月4日 ベルギー,アールスト |
死没 |
1941年2月20日 ベルギー,Leupegem |
ヴァレリウス・デ・サーデレール(Valerius de Saedeleer または Valerius De Saedeleer[1][2]、1867年8月4日 - 1941年9月16日)はベルギーの画家である。ベルギーのヘントに近いシント=マルテンス=ラーテムで活動した「ラーテム派」の画家の一人で[3]風景画を描いた。
略歴
[編集]オースト=フランデレン州のアールストの石鹸などをつくる工場の経営者の息子に生まれた。15歳で学校を退学になった後、父親の意向でヘントの織物工場で働き、ヘントの工業学校で織物技術を学んだが、父親には告げずに、ヘントの王立美術学校に入学し、画家のテオ・ファン・レイセルベルヘや彫刻家のジョルジュ・ミンヌらと知り合った[2][4]。ヘントの美術学校に満足できず、ブリュッセルに移り、風景画家の Franz Courtensのもとで4年間学んだ。当時人気のあった風景画家のエミール・クラウスからも影響を受けた。
1889年に食料品店の経営者の娘と結婚し[2]、妻の持参金で港町のブランケンベルヘで食料品店を始めるが、すぐに商売は失敗した。ウェンドゥイネ(Wenduine)やダンメ、ヘントなどに住んだ後、1892年にアフスネーに住み、アマチュア画家のアルビン・ファン・デン・アベーレと知り合った[4] 。ファン・デン・アベーレはシント=マルテンス=ラーテムの町の役人で、画家や芸術家に安い住居を斡旋し、「ラーテム派」の形成に重要な役割を果たした人物である。
1893年の4月から10月までラーテムで暮らし、ラーテムで活動を始めた、ジョルジュ・ミンヌとの交流を再開し、詩人のカレル・ヴァン・デ・ヴスタインと画家のギュスターフ・ヴァン・デ・ヴスタインの兄弟と知り合った。1895年から1898年までリスセウェフェ(Lissewege)に移り、養鶏などの仕事をした[2]。1898年から再び、ラーテムで活動をはじめ、ミンヌとギュスターフ・ヴァン・デ・ヴスタインとともに「ラーテム派」として知られるようになり、「象徴主義」や「神秘主義」の傾向が現れるようになった[3]。
1905年頃にはラーテムにコンスタン・ペルメーク、アルベール・セルヴァース、ギュスターフ・デ・シュメトといった前衛的な画家たちがラーテムで活動するようになった。
デ・サーデレールは1901年の展覧会で高い評価を得たが、まだ絵の売り上げだけでは生活できず養鶏を続けた。1903年にパリの展覧会、1904年にベルリンやミュンヘン、ウィーンの分離派の展覧会やベルギーの展覧会に出展して、画壇やコレクターに注目されるようになった。1907年までにはラーテム派のなかで最も成功した画家となった。
第一次世界大戦がはじまるとイギリスのウェールズに避難し、1920年までウェールズに滞在し、ベルギーへの帰国後はマールケダルやアウデナールデで暮らした。
1924年にベルギー王冠勲章を受勲した。
作品
[編集]-
フランドルの冬 (1927)
-
枯れ木のある風景
-
憂鬱な日の日暮れ
参考文献
[編集]- ^ Sources varyingly use "de" or "De". In the publications to which de Saedeleer contributed the lowercase "de" version is invariably used. Full birth name is: Valerius Victor Emiel Marie de Saedeleer
- ^ a b c d Valerius de Saedeleer Archived 2015-10-03 at the Wayback Machine. at Aalst city website
- ^ a b Willem Elias, 'De ‘school’ van Latem', 21 November 2008
- ^ a b Boyens, Piet (1998). “Valerius De Saedeleer” (Dutch). Sint-Martens-Latem. Lannoo. ISBN 9789020934977
関連図書
[編集]- F-C.Legrand, Het Symbolisme in België, Brussel 1971, p. 103 (in Dutch)
- P.Boyens, 'Het symbolisme en de schilderkunst in België', Vlaanderen 53 (2004), p. 21 (in Dutch)
- M.Draguet, Het Symbolisme in België, Brussel 2004, p. 305 (in Dutch)