ヴァシーリー・デグチャレフ
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ヴァシーリー・アレクセイエヴィチ・デグチャレフ Васи́лий Алексе́евич Дегтярёв | |
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生誕 |
1880年1月2日 ロシア帝国、トゥーラ |
死没 |
1949年1月16日(69歳没) ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ |
所属組織 | 赤軍 |
最終階級 | 技術少将 |
ヴァシーリー・アレクセイエヴィチ・デグチャレフ(Васи́лий Алексе́евич Дегтярёвヴァシーリー・アレクセイエヴィチ・デクチャリョーフ;ロシア語ラテン翻字: Vasilii Alekseevich Degtyarev, 1880年1月2日 - 1949年1月16日)は、ソ連の軍人、銃器設計者。技術・砲兵少将、科学技術博士(1940年)、社会主義労働英雄(1940年、称号が創設されて2人目の受賞で、1人目であるスターリンの2週間後に受賞した)。1941年に共産党入党。
デグチャレフは、ソ連で最初の銃器設計局を率い、複数の機関銃、短機関銃、対戦車ライフルを設計した。
デグチャレフはスターリン国家賞を、1941年、1942年、1944年、さらには死後の1949年に受賞。さらには3度のレーニン勲章とその他4つの勲章、1つのメダルを受章している。
業績
[編集]- 1927年試作のDP1926が改良の後、翌1928年にDP28軽機関銃として赤軍に制式採用された。またこの機銃は、以下の派生型も作られた。
- 2種の航空機用機銃、DAおよびDA-2
- 車載用機銃のDT
- いくつかの短機関銃の設計。初期のPPD-34/38短機関銃に続き、1940年にはPPD-40短機関銃を開発した。
- 大口径重機関銃のDKを1930年に開発。これをゲオルギー・シュパーギンが改良したDShK38重機関銃は1939年に採用され、以後、ソビエト連邦軍の標準重機関銃として使用された。
- 1939年、口径7.62mmの重機関銃DS-39を完成させるが、これは装弾機構に不具合があり、1941年には生産休止となった。
- 大祖国戦争に際し、対戦車ライフルデグチャレフPTRD1941を開発。1944年にRPD軽機関銃を開発。