ヴァシリー・ビシャーリン
ヴァシリー・グリゴリエヴィチ・ビシャーリン Василий Григорьевич Бисярин | |
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生年月日 | 1893年 |
出生地 |
ロシア帝国ウファ県ウファ郡カタフ・イヴァノフスク (ズラトウースト郡ズラトウーストとも) |
没年月日 | 1949年4月13日 |
死没地 |
ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ |
出身校 |
赤色教授学院卒業 ウファ薬剤コース修了 |
前職 | メッセンジャー、薬剤師 |
所属政党 | ボリシェヴィキ |
在任期間 |
1919年2月 - 3月 1921年12月 - 1922年9月 |
在任期間 | 1926年1月13日 - 1927年9月 |
全連邦共産党(ボ)ノヴゴロド管区委員会 責任書記 | |
在任期間 | 1927年9月26日 - 1928年5月 |
ヴァシリー・グリゴリエヴィチ・ビシャーリン(ロシア語: Василий Григорьевич Бисярин, ラテン文字転写: Vasilii Grigor'evich Bisyarin、1893年 - 1949年4月13日)は、ロシアの革命家・政治家。
生涯
[編集]1893年、ロシア帝国ウファ県カタフ・イヴァノフスク(ズラトウーストとも[1])に生まれた[2]。学校卒業後はメッセンジャーとして働き、さらにウファ薬剤コースを修了して薬剤師としても活動した[1]。
1914年からボリシェヴィキとなり、ズラトウーストの地下組織で活動[1]。1916年3月には逮捕されトゥルガイ州へ追放されたが、二月革命の発生によって恩赦され、翌1918年まで党ズラトウースト委員会の書記を務めた[2]。ズラトウースト・ソビエトでも活動したが、白軍の接近に伴い[1]5月に赤軍に入隊[2]。最前線でコサックと戦った[1]。翌1919年2月から3月まで党ウファ県委議長を務める一方、7月23日から10月1日まで第5軍第27狙撃師団の、同月8日から12月12日まで第26狙撃師団 (ru) の軍事委員を務め、また第5軍の政治部監査官にも就いた[2]。同年7月からは極東共和国人民革命軍 (ru) 政治副司令官を務め[2]、党中央委極東局 (ru) でも活動した[3]。
内戦後は1921年に党ベレベイ郡 (ru) 委粛清委議長を、同年12月から翌1922年9月(または6月[2])までウファ県委責任書記を[4]、同年7月から9月まではバシキール州委書記を歴任し、翌1923年から1926年1月までは[2]中央委副部長に就いた[3]。同月13日から翌1927年9月まではノヴゴロド県委の、同月23日まではノヴゴロド管区 (ru) 組織局の、26日から1928年5月まではノヴゴロド管区委の責任書記を歴任した[2]。
その後はノヴゴロド州委書記[4]やレニングラード市とレニングラード州の公教育部部長も務め、1932年にはモスクワで赤色教授学院を卒業[3]。同年からはモスクワ州ソビエト副議長、1934年からは州公教育部部長、1936年からは州芸術部部長を務め、1942年からは国家大薬剤庫管理者、1945年から1947年まではソビエト連邦保健人民委員部 (ru) および保健省の大薬剤部部長を務めた[3]。その他モスクワ市ソビエト副議長にも就き、第11回・第13回・第15回・第16回の党大会にも出席している[4]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e Абрамовский А. П. “БИСЯРИН Василий Григорьевич”. Энциклопедия "ЧЕЛЯБИНСК". 2018年8月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “Бисярин Василий Григорьевич”. Справочник по истории Коммунистической партии и Советского Союза 1898 - 1991. 2018年8月10日閲覧。
- ^ a b c d e БИСЯРИН / Г. Д. Иргалин // А — Б. — Уфа : Башкирская энциклопедия, 2005. — (Башкирская энциклопедия : [в 7 т.] / гл. ред. М. А. Ильгамов ; 2005—2011, т. 1).
- ^ a b c “Первые секретари Уфимского губкома, Башкирского обкома, Башкирского рескома партии” (PDF). Архивы Башкортостана. p. 1. 2018年8月10日閲覧。
党職 | ||
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先代 ヴェニアミン・セデンコフ |
ロシア共産党(ボ)ウファ県委員会議長 1919年2月 - 3月 |
次代 ボリス・エリツィン |
先代 ボリス・ニンヴィツキー |
ロシア共産党(ボ)ウファ県委員会責任書記 1921年12月 - 1922年9月 |
次代 なし |
先代 アレクサンドル・クリャフス=クリャヴィン |
全連邦共産党(ボ)ノヴゴロド県委員会責任書記 1926年1月13日 - 1927年9月 |
次代 なし |
先代 なし |
全連邦共産党(ボ)ノヴゴロド管区委員会責任書記 1927年9月26日 - 1928年5月 |
次代 フョードル・イヴァノフ |