ヴァイオリン協奏曲 (ベルク)
音楽・音声外部リンク | |
---|---|
全曲を試聴する | |
Alban Berg - Violinkonzert - フランク・ペーター・ツィンマーマン独奏、マレク・ヤノフスキ指揮ケルンWDR交響楽団による演奏。WDRクラシック公式YouTube。 |
アルバン・ベルクの《ヴァイオリン協奏曲》は1935年8月11日に完成された。おそらくベルクの最も有名な作品であり、なおかつ最も演奏回数に恵まれた作品である。「ある天使の思い出に」(Dem Andenken eines Engels)の献辞が付されているが、ときにこれが副題のように看做されることもある[1]。
着想と作曲
[編集]1935年2月、かねてから新ウィーン楽派の音楽に惹かれていた[2]ヴァイオリニストのルイス・クラスナーがベルクにヴァイオリン協奏曲を依嘱した[注 1]。当時ベルクはオペラ《ルル》に取り組んでおり、しばらく協奏曲は手付かずのままであった。しかし4月22日、アルマ・マーラーがヴァルター・グロピウスともうけた娘マノン・グロピウスが、ポリオのために18歳という若さで急死する。ベルクはマノンを可愛がっていたため、この訃報を知ると、オペラをいったん脇にのけ、クラスナーから委嘱されていた協奏曲を「ある天使の想い出に」捧げるものとして作曲に取りかかった。つまり、「ある天使」とはマノンのことである。
自身で「今までこれほど熱心に働いたことはありません」と語ったように、遅筆のベルクには珍しく《ヴァイオリン協奏曲》の作曲は非常にはかどり、7月にはショートスコア(簡略譜)が完成、8月にオーケストレーションも脱稿した[3][4]。しかし生来病弱だったベルクは作曲中に体調を崩して[注 2]、この作品が自分自身へのレクイエムにもなるであろうと予想し[注 3]、そしておそらく《ルル》を完成できないであろうことを察知していた。ベルクは敗血症のため1935年12月24日に急逝し[1]、《ヴァイオリン協奏曲》はベルクが最後に完成させた作品となった。したがってベルクは本作の実演に接することができず、《ルル》も未完に終わった。
初演
[編集]- 世界初演:1936年4月19日、国際現代音楽協会バルセロナ大会。ルイス・クラスナーの独奏。アントン・ウェーベルンが指揮の予定であったが、思い入れからウェーベルンは冷静に練習ができない精神状態となり、ヘルマン・シェルヘンが指揮を担当することが前日に決定した[5]。
- 英国初演:1936年5月1日、ロンドン。招待者のみの非公開演奏。同じくクラスナーの独奏。アントン・ウェーベルンが復帰してBBC交響楽団を指揮した。アセテート盤に録音され、クラスナーにより保管されていた。後にCDに復刻された音源の出典でもある。
- 日本初演:1959年3月30日、東京の日比谷公会堂。ウィリアム・ストリックランド指揮、B・アール独奏、日本フィルハーモニー交響楽団による。
楽器編成
[編集]- 独奏ヴァイオリン
- フルート2(ピッコロ1持ち替え)
- オーボエ2(コーラングレ1持ち替え)
- アルト・サクソフォーン(第3クラリネット持ち替え)
- クラリネット2
- バス・クラリネット
- ファゴット2
- コントラファゴット
- ホルン4
- トランペット2
- トロンボーン2
- バス・テューバ
- ティンパニ(4個:一時2人)
- 大太鼓、小太鼓、シンバル、タムタム、ゴング、トライアングル
- ハープ
- 弦五部(12型)
楽曲構成
[編集]演奏時間はおおよそ25~30分。「アンダンテ」と「アレグロ」の2つの楽章で構成されているが、各楽章はさらに2つの部分に分けられる。
第1楽章は現世におけるマノンの音楽的肖像であるが、第2楽章はマノンの闘病生活と死による浄化(昇天)が表現されている[1]。
他のほとんどのベルク作品のように、本作品においても、恩師アルノルト・シェーンベルク譲りの十二音技法が、より自由な様式によるパッセージに結び付けられている。通常の十二音作品の場合と同じく、無調性による作品でありながら、調的な中心を感じさせる点で特異である。これは、民謡やバッハのカンタータの引用に明らかなように、本作品が調性音楽と関連づけられているためもあるのだが、下図のように、基礎音列が、短三和音と長三和音の交替からなるためである。そして最後の4音は、全音音階を含んでいる((1)ソ、(2)♭シ、(3)レ、(4)♯ファ、(5)ラ、(6)ド、(7)ミ、(8)♯ソ、(9)シ、(10)♯ド、(11)♭ミ、(12)ファ)。かくて基礎音列によって、無調性と調性の葛藤が基礎づけられるのである。
12音の音列なので、半音階のすべての音がここには含まれている。しかしながら、調的な要素も強力に流れ込んでいる。音列中の最初の3音((1)~(3))は、ト短調の主和音を構成する。次の3音((3)~(5))はニ長調、その次((5)~(7))はイ短調、さらにその次((7)~(9))はホ長調の分散和音という具合である。そして最後の4音((9)~(12))が全音音階なのである。またこの音列はヴァイオリンの開放弦を、低いほうから高いほうへと順序良く含んでおり((1), (3), (5), (7))、作品の開始部分に現われるのが、まさにこの動きである。
音列の最後の4音である、上昇全音音階は、コラール「もう十分です Es ist genug」の冒頭句に一致する。ベルクはこれを、バッハのカンタータ第60番《おお永遠よ、汝おそろしき言葉よ》の終曲(譜例)から直接引用し、「オルガンのような」[6]クラリネットの合奏に演奏させている。
第1楽章「アンダンテ」
[編集]「アンダンテ」と記された第1楽章の前半は10小節の導入をもつ三部形式で構成され[注 4]、スケルツォ調の「アレグレット」が後に続く。この後半部分はスケルツォ-第一トリオ-第二トリオ-第一トリオ-スケルツォというシンメトリックな構成を持ち、終盤には金管楽器によってケルンテン地方の民謡「スモモの木で一羽の鳥が」(Ein Vogel auf'm Zwetschenbaum) が引用されている[7][8]。
第2楽章「アレグロ」
[編集]第2楽章の前半は三部形式をとる猛烈な「アレグロ」で、付点リズムが特徴的な単一のリズム細胞にほとんど依拠している。この部分は「カデンツァ」と表現される[6]ように、独奏ヴァイオリン・パートは非常に困難なパッセージに終始する。オーケストラはクライマックスに達すると、いよいよ激しさを募らせる。最終部分(第2楽章の第2部、全体的に言うと第4部)は「アダージョ」の速度が指定され、より穏やかな雰囲気に転じる。コラールが独奏とクラリネット合奏によって奏され、2つの変奏がそれに続いたあと、ケルンテン地方の民謡の回想と静かなコーダによって締めくくられる[7]。
注釈
[編集]- ^ 当時ベルクは、ナチス政権の締め付けによって経済的な問題をかかえていた。Jarman, Douglas (1991) Alban Berg: Lulu. Cambridge University Press. p. 4.
- ^ 喘息の再発と心臓の不調、歯痛に悩まされた。作品の完成前後には虫刺されが悪化し、治療によって一時は回復したが、尾骶骨付近の膿瘍に加えて各所の腫れが発症し、モルヒネや多量のアスピリンで痛みを抑えていた。Pople (1991) pp. 41-43.
- ^ ダグラス・ジャーマン (Douglas Jarman) の研究による。作品はベルクの自伝的な要素を含んでいると考えられ、引用されたケルンテン地方の民謡の歌詞に現れる「ミッツィー」Mizzi は「マノン」の愛称であるとともに、ベルクが17歳のときに私生児を生んだケルンテン地方出身の女中マリー (Marie Scheuchl) の愛称でもある。またベルク自身と晩年の恋人ハンナ・フックス (Hanna Fuchs) を象徴する「23」と「10」の数字が随所に用いられており、第2楽章の第222小節ではフックスのイニシャルであるH-F音を独奏が強調する。浜尾 (1998) pp. 89-90.
- ^ 各楽章の前半にソナタ形式の形跡をみる場合もある。Pople (1991) p. 110.
出典
[編集]- ^ a b c 柴沼純子 (2020)「ベルク ヴァイオリン協奏曲〈ある天使の思い出に〉」『月刊オーケストラ』2020年2月号 (PDF) - 読売日本交響楽団。2023年12月26日閲覧。
- ^ Pople (1991) pp. 26-27.
- ^ 浜尾 (1998) p. 89.
- ^ Pople (1991) pp. 40-41.
- ^ Pople (1991) p. 44.
- ^ a b ベルクの監修のもと弟子のヴィリー・ライヒ (de:Willi Reich) が記した解説による。Pople (1991) pp. 32-33.
- ^ a b 浜尾 (1998) pp. 90-94.
- ^ Jan Reichow. “Melodien... Vom Choral zum Raga”. janreichow.de. 2014年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月7日閲覧。
参考文献
[編集]- Anthony Pople, Berg: Violin Concerto (Cambridge University Press, 1991)
- 浜尾房子「ヴァイオリン協奏曲」『作曲家別名曲解説ライブラリー16 新ウィーン楽派』音楽之友社、1998年、88-94頁。
外部リンク
[編集]- ヴァイオリン協奏曲の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト。PDFとして無料で入手可能。