コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ワールド・B・フリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ワールド・B・フリー
World B. Free
引退
ポジション SG
基本情報
愛称 Prince of Mid-Air
All-World
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1953-12-09) 1953年12月9日(70歳)
出身地 ジョージア州アトランタ
身長(現役時) 188cm (6 ft 2 in)
体重(現役時) 84kg (185 lb)
キャリア情報
出身 ギルフォード大学
ドラフト 1975年 23位
選手経歴
1975-1978
1978-1980
1980-1982
1982-1986
1986-1987
1987-1988
フィラデルフィア・76ers
サンディエゴ・クリッパーズ
ゴールデンステート・ウォリアーズ
クリーブランド・キャバリアーズ
フィラデルフィア・76ers
ヒューストン・ロケッツ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

ワールド・B・フリー (World B. Free, 1953年12月9日 - ) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長188cm、体重84kg。ポジションはシューティングガード。出生名はロイド・バーナード・フリー (Lloyd Bernard Free) であったが、1981年に改名した。

経歴

[編集]

フリーはアトランタで生れ、ニューヨーク州ブラウンズビルで育った。進学したノースカロライナ州ギルフォード大学では、1年生にしてチームをNAIAトーナメント優勝に導き、大会MVPを受賞した。

1975年、フリーはNBAドラフトにエントリーし、全体23位でフィラデルフィア・76ersに入団した。76ersで3シーズンプレーした後、1978年にサンディエゴ・クリッパーズに移籍するとチームのエースとして華々しい活躍を見せた。1978-79シーズンはリーグ2位の平均28.8得点でオールNBA2ndチームに選ばれ、翌1979-80シーズンはキャリアハイとなる平均30.2得点を叩き出して自身唯一のオールスター出場を果たした。ただ、当時のクリッパーズはフリーのワンマンチームであり、どちらのシーズンもプレーオフを逃している。

フリーは1980年にゴールデンステート・ウォリアーズに移籍し、その後1982-83シーズン途中にクリーブランド・キャバリアーズに移籍した。キャバリアーズ時代の1985年には自身7年ぶりとなるプレーオフ進出を果たし、1回戦でボストン・セルティックス相手にシリーズ平均26.3得点と奮闘したが1勝3敗で敗退した。フリーはキャバリアーズでのラストシーズンとなった1985-86シーズンまで、8年連続で平均22得点以上を記録した。

フリーは1986年に古巣76ersに復帰したが、怪我のため20試合の出場に留まり、シーズン終盤に解雇された。その後USBLでの短期間のプレーを経て、1987年にヒューストン・ロケッツと契約し、1シーズンプレーした後に現役を引退した。NBAでの成績は886試合の出場で通算17,955得点3,319アシスト(平均20.3得点3.7アシスト)であった。

フリーは現在、76ersの選手開発責任者及びコミュニティ・アンバサダーとして活動している。

プレースタイル・人物

[編集]

フリーの最大の特徴は、ボールを担ぐようなフォームから放たれる高いアーチのジャンプショットである。これは10代の頃ニューヨークのプレーグラウンドでプレーしていた際、背が低くてシュートをよくブロックされていたために身に付けたという。また全盛期には垂直跳びで44インチを記録するなど高い身体能力を持ち、主に1オン1から得点を量産した。

フリーはリーグ屈指のスコアラーであったにもかかわらず、弱小球団に在籍した期間が長く、プレーオフでインパクトを残せなかったため過小評価されている選手の1人として知られている。NBA史上シーズン平均30得点を達成した31人のうち、オールスターに複数回選ばれていないのはフリーのみである。

"ワールド"という名前の由来は、高校時代にフリーの360度ダンクを目の当たりにした友人によって付けられたニックネームによる。1981年、28歳の誕生日の前日に、正式にファーストネームを「ワールド」に改名した。それに伴い、登録名が「ロイド・フリー」から「ワールド・B・フリー」に変更となった。

尊敬する人物はモハメド・アリである。

個人成績

[編集]

レギュラーシーズン

[編集]
Season Team GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1975–76 PHI 71 15.8 .448 .602 1.8 1.5 0.5 0.1 8.3
1976–77 78 28.9 .457 .720 3.0 3.4 1.0 0.3 16.3
1977–78 76 27.0 .455 .731 2.8 4.0 0.9 0.5 15.7
1978–79 SDC 78 37.9 .481 .756 3.9 4.4 1.4 0.4 28.8
1979–80 68 38.0 .474 .360 .753 3.5 4.2 1.2 0.5 30.2
1980–81 GSW 65 36.5 .446 .161 .814 2.4 5.6 1.3 0.2 24.1
1981–82 78 78 35.8 .448 .179 .740 3.2 5.4 0.9 0.1 22.9
1982–83 19 18 36.8 .451 .000 .711 2.3 4.7 0.8 0.2 22.8
CLE 54 51 35.9 .458 .357 .747 2.9 3.7 1.5 0.2 24.2
1983–84 75 71 31.7 .445 .319 .784 2.9 3.0 1.3 0.1 22.3
1984–85 71 50 31.7 .459 .368 .749 3.0 4.5 1.1 0.2 22.5
1985–86 75 75 33.8 .455 .420 .780 2.9 4.2 1.2 0.3 23.4
1986–87 PHI 20 2 14.3 .317 .222 .766 1.0 1.5 0.3 0.2 5.8
1987–88 HOU 58 0 11.8 .409 .229 .800 0.8 1.0 0.3 0.1 6.4
Career 886 345 30.4 .456 .337 .753 2.7 3.7 1.0 0.3 20.3
All-Star 1 1 21.0 .538 .000 3.0 5.0 0.0 1.0 14.0

プレーオフ

[編集]
Year Team GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1976 PHI 3 20.7 .393 .769 0.3 1.7 1.0 0.0 10.7
1977 15 18.7 .371 .688 2.1 1.9 0.8 0.5 11.9
1978 10 26.8 .411 .728 3.1 3.7 0.4 0.6 16.1
1985 CLE 4 4 37.5 .441 .000 .920 2.5 7.8 1.5 0.0 26.3
1988 HOU 2 0 6.0 .000 .000 1.0 0.5 0.5 0.0 0.0
Career 34 4 22.7 .398 .000 .740 2.2 3.0 0.7 0.4 14.0

外部リンク

[編集]