ワレンチン・ユマシェフ
ワレンチン・ユマシェフ Валентин Борисович Юмашев | |
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生年月日 | 1957年12月15日(67歳) |
出生地 | ソビエト連邦 ロシア共和国、ペルミ |
出身校 | モスクワ大学ジャーナリスト学部 |
前職 | ジャーナリスト |
配偶者 | タチアナ・ユマシェワ |
親族 | ボリス・エリツィン(岳父) |
在任期間 | 1997年3月11日 - 1998年12月7日 |
ワレンチン(ヴァレンチン)・ボリソヴィチ・ユマシェフ(ロシア語: Вали́н Бори́сович Юма́шев、ラテン文字転写の例:Valentin Borisovich Yumashev、1957年12月15日 - )は、ロシアのジャーナリスト、政治家。ペルミ出身。ボリス・エリツィン時代の1997年3月11日から1998年12月7日まで大統領府長官を勤めた。
1973年、16歳のときモスクワに移る。1978年モスクワ大学ジャーナリズム学部を卒業し、「モスコフスキー・コムソモーレツ」紙編集部を経て、「コムソモリスカヤ・プラウダ」紙編集部に入る。1987年「アガニョーク」誌に移り、1991年副編集長、1995年編集長になる。
1996年ロシア大統領選挙の後、エリツィンに請われる形でメディア担当の大統領顧問に就任し、エリツィンの著書『エリツィンの手記』などの執筆をしている。1997年第一副首相兼蔵相に転じたアナトリー・チュバイスの後任として大統領府長官に就任する。1998年大統領府長官を解任後も夫人のタチアナ、オリガルヒのボリス・ベレゾフスキーとともに権勢を振るい、エフゲニー・プリマコフ首相解任を画策したとされる。また、1999年末にエリツィンが大統領を電撃辞任した際には、辞任演説を準備した。2000年「エリツィン・ロシア初代大統領基金」に勤務。
最初の夫人との間に一女ポーリーナ(ポーリーン)がいる。ポーリーンはオレグ・デリパスカ夫人。エリツィンの二女でエリツィン政権後期にボリス・エリツィン大統領の家族を中心とする側近グループ(セミヤー)の中核となったタチアナ・ディアチェンコと再婚。2002年4月に娘マリアが生まれた。
ユマシェフ夫妻は、モスクワ・シティ(モスクワ国際ビジネスセンター)の高層ビル、インペリア・タワーとキャピタル・シティの半分(49.58パーセントのシェア)を所有している[1]。
2009年ユマシェフは一家そろってオーストリアの市民権を取得した[2]。
2022年5月30日、同年4月中にウラジーミル・プーチン大統領の顧問を自ら辞任していたとロイターが報じた[3]。
脚注
[編集]- ^ Tower Yumasheva. Half of Imperia Tower in the "Moscow City", and half managing the business center of the "CITY" belong to the Cyprus Valtania. The name comes from "Valea + Tani", explain the sources of "Vedomosti" «Vedomosti», 07.06.2011.
- ^ エリツィンの令嬢、タチアナ・ユマシェワ、オーストリア市民権を取得”. ロシアRBCテレビ (2013.4.26 ). 2013年11月3日閲覧。 “
- ^ Reuters (2022年5月30日). “Exclusive: Yeltsin's son-in-law quits as Putin adviser -sources” (英語). Reuters 2022年5月31日閲覧。