ワフド党
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ワフド党 حزب الوفد | |
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党旗 | |
成立年月日 | 1919年[1] |
解散年月日 | 1953年[2] |
解散理由 | 非合法化[1] |
後継政党 | 新ワフド党[3] |
本部所在地 | エジプト・カイロ |
政治的思想・立場 |
民族主義[4][2] 近代化[1] |
ワフド党(わふどとう、アラビア語: حزب الوفد, ラテン文字転写: Hizb al-wafd、英語: Wafd Party)は、かつて存在したエジプト王国の民族主義政党である。1918年頃、サアド・ザグルールを初め、地主や民族主義者によって結成された。
概要
[編集]立憲君主制期のエジプトでは、1918年頃の独立運動時に独立を求めた民族主義運動派がサアド・ザグルールを中心にワフド党を結成し、王党派およびムハンマド・アリー朝王家との間の対立が当時の政治を動かした。
1919年にエジプト革命を起こし、1922年にエジプトは独立を達成し、1924年には当時の政権に就いた[5]。1936年には第二次世界大戦に備えてエジプトとの関係を改善したいイギリスとの間で同盟条約を結んでイギリス軍の駐留を縮小させることに成功した。しかし、1952年のムハンマド・ナギーブ、ガマール・アブドゥン=ナーセルの自由将校団によるエジプト革命が起こり、他の政党とともに解散を命じられ、政治活動を禁止された。
脚注
[編集]- ^ a b c ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - ワフド党. コトバンク. 2019年3月26日閲覧。
- ^ a b 百科事典マイペディア - ワフド党【ワフドとう】. コトバンク. 2019年3月26日閲覧。
- ^ “Brotherhood to run in Egypt polls”. アルジャジーラ. (9 Oct 2010) 26 March 2019閲覧。
- ^ 藤井宏志. 日本大百科全書(ニッポニカ) - ワフド党. コトバンク. 2019年3月26日閲覧。
- ^ ワフド党と独立運動
参考文献
[編集]- 全国歴史教育研究協議会『世界史B用語集』山川出版社、2009年。ISBN 978-4-634-03302-3。