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ワジハルファ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ワディ・ハルファ

وادي حلفا
Skyline of ワディ・ハルファ
ワディ・ハルファの位置(スーダン内)
ワディ・ハルファ
ワディ・ハルファ
ワディ・ハルファの位置
座標:北緯21度47分 東経31度22分 / 北緯21.783度 東経31.367度 / 21.783; 31.367
スーダン
北部州
人口
(2007)
 • 合計 15,725人

ワジ・ハルファアラビア語: وادي حلفا‎、Wādī Ḥalfā)は、スーダン北部州に属する同国最北の町。2007年の人口は1万5725人。

地理

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ナイル川の沿岸、ヌビア湖(ナセル湖のスーダン領地域)の湖畔にある。 ヌビア砂漠の真ん中に位置する。 ヌビアの遺跡が多く、アスワン・ハイ・ダムが引き起こす洪水から守る活動が続いている。

交通

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エジプトとの国境に位置し、下流のエジプト領アスワンまでフェリーが運航している。 また、南スーダンワーウから首都ハルツームを経由するスーダン鉄道の最北の駅が有る。 このため、陸路で国境を越える際のメインルートとなっているが、実際には両国間の往来は空路が多く、陸路の便数は鉄道・フェリーともに非常に少ない。

歴史

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マフディー戦争(1881年1899年)の頃に、イギリス兵を乗せてワジ・ハイファとエジプトアシュートを結んだ蒸気船。

古代からの定住が考古学的に判明している[1]

エジプト中王国時代(紀元前2055年頃~紀元前1650年頃)からアエギュプトゥス(ローマ領エジプト)時代(紀元前30年641年)にかけて、エジプトの植民地のブヘン英語版が存在した[2]

19世紀、近代都市のワジ・ハルファが建設されると、ナイル川沿いにアスワンと結ばれる港湾都市になった[3][4]

1820年オスマン帝国領エジプトの南方征服では、南に向かう軍の短期滞在地になった。

1866年、エジプトとの間に電信が開通した。

1877年ケルマ英語版との間に鉄道が開通した[3][5]スーダン鉄道が延びるにつれ、アシュートのすぐ南まで航行しエジプトの鉄道網に接続出来るワジ・ハルファの価値は高まったが、代わりに旧キャラバン宿のコロスコ英語版の価値は低下した。

1881年マフディー戦争が始まり、国境で頻繁に戦闘が起きるようになった。

1889年アブド・アル・ラフマン・アル・マフディー英語版軍がトスキの戦い英語版に向かう途中で立ち寄った[3]。 その後キッチナー率いるイギリス領エジプト軍がマフディー軍を倒すために一時滞在した。

1897年、イギリスの戦争遂行に伴って延びた鉄道がアトバラに達した。

鎖に繋がれたスーダン人受刑者がイギリスの荷物を運ぶ(1898年)

1899年、戦争が終了し、スーダン(現在の南スーダンを含む)は英埃領スーダンとなった。 また、鉄道が首都ハルツームに達した。

1911年、ナイル川監視所が設置された。

1931年、監視所が47km北に移転した[6]

ワジ・ハルファRRホテル(1936年)

第二次世界大戦では連合国の軍事郵便局が置かれた。

1956年には人口が1万1000人に達した[3]

1959年11月8日アスワンダムの建設によって周辺の水没が決まった。 約5万2000人が1964年までの退去を義務付けられた[7]

1960年10月23日~24日、最も被害を受けたヌビア人がデモを行った。 26日には首都ハルツームにもデモが飛び火したが、警察は催涙ガスで鎮圧した[7]。 政府は直ちにワジ・ハルファに戒厳令を発令し、国内他地域との連絡を断絶した。 主に学生から成るハルツームでの抗議によって、カイロ大学ハルツーム校が一時閉鎖され、約50人が逮捕された[7]

1964年、ダムは完成し、旧市街地は洪水で破壊された。 町の殆どが移転した。

1965年時点で、移転後の新ハルファの人口は3200人だった[7]

1970年代には、考古学者達がヌビアの遺跡を精密調査していた[2]

2005年、ヌビアの博物館や交流施設が計画された[8]が、2014年時点でそれ以上の進捗は無い[9]

気候

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ヌビア砂漠では典型的な砂漠気候(BWh)に属する。 一年を通して快晴が多く、最高記録は4300時間/年である[10] これは理論的に有り得る時間の97~98%に当たる[11]。 年間平均降水量は0.5mmで[10]、雨の全く降らない年も多い。 季節は長く暑い夏と、短く暖かい冬が訪れる。 年間平均気温は27℃で、5~9月に限れば平均最高気温は40℃を超える。 年間潜在蒸発量は世界一で、5930mm/年に及ぶ[12]

ワジ・ハルファ(1961年 – 1990年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 35.5
(95.9)
41.6
(106.9)
45.5
(113.9)
45.7
(114.3)
47.8
(118)
48.7
(119.7)
46.7
(116.1)
47.6
(117.7)
46.5
(115.7)
44.5
(112.1)
39.0
(102.2)
35.6
(96.1)
48.7
(119.7)
平均最高気温 °C°F 23.3
(73.9)
25.7
(78.3)
30.5
(86.9)
36.1
(97)
39.6
(103.3)
41.1
(106)
40.7
(105.3)
40.1
(104.2)
39.2
(102.6)
36.1
(97)
29.2
(84.6)
24.8
(76.6)
33.9
(93)
日平均気温 °C°F 16.4
(61.5)
18.1
(64.6)
22.5
(72.5)
27.7
(81.9)
31.5
(88.7)
33.1
(91.6)
32.8
(91)
32.5
(90.5)
31.8
(89.2)
28.8
(83.8)
22.5
(72.5)
18.1
(64.6)
26.3
(79.3)
平均最低気温 °C°F 9.5
(49.1)
10.5
(50.9)
14.6
(58.3)
19.4
(66.9)
23.3
(73.9)
25.0
(77)
24.9
(76.8)
24.9
(76.8)
24.4
(75.9)
21.5
(70.7)
15.7
(60.3)
11.3
(52.3)
18.8
(65.8)
最低気温記録 °C°F 4.2
(39.6)
2.5
(36.5)
6.0
(42.8)
11.0
(51.8)
13.4
(56.1)
17.8
(64)
18.5
(65.3)
17.8
(64)
17.4
(63.3)
12.3
(54.1)
5.2
(41.4)
2.0
(35.6)
2.0
(35.6)
降水量 mm (inch) 0.1
(0.004)
0.0
(0)
0.0
(0)
0.0
(0)
0.0
(0)
0.0
(0)
0.0
(0)
0.5
(0.02)
0.0
(0)
0.0
(0)
0.0
(0)
0.0
(0)
0.6
(0.024)
湿度 41 33 26 21 20 20 23 26 25 28 37 43 29
平均月間日照時間 303.8 277.2 303.8 303.0 325.5 324.0 331.7 322.4 288.0 310.0 303.0 294.5 3,686.9
日照率 92 91 86 86 86 87 87 88 86 90 94 91 89
出典:アメリカ海洋大気庁[13]

経済

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市街地

農業が中心である[3]。 中国人が魚の加工工場を建てた。

出典

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  1. ^ Omer, Ibrahim (December 2008). “Prehistory of the Sudan”. Ancient Sudan - Kush. 2016年11月19日閲覧。
  2. ^ a b Wādī Ḥalfā”. Encyclopædia Britannica. 18 November 2013閲覧。
  3. ^ a b c d e Kramer, Robert S.; Lobban, Jr., Richard A.; Fluehr-Lobban, Carolyn (22 March 2013). Historical Dictionary of the Sudan. Scarecrow Press. p. 454. ISBN 978-0-8108-7940-9. https://books.google.com/books?id=0OKZRewiEOsC&pg=PA454 
  4. ^ Daly, Martin W.; Hogan, Jane R. (2005). Images of Empire: Photographic Sources for the British in the Sudan. BRILL. p. 95. ISBN 978-90-04-14627-3. https://books.google.com/books?id=dRKy2B0bU2UC&pg=PA95 
  5. ^ Budge, Ernest A.W. The Egyptian Sudan: Its History and Monuments, Vol. II, pp. 461 ff. 1907 reprinted by Cosimo Classics (New York), 2010. Accessed 13 Feb 2014.
  6. ^ Dumont, Henri J. (6 May 2009). The Nile: Origin, Environments, Limnology and Human Use. Springer. p. 360. ISBN 978-1-4020-9726-3. https://books.google.com/books?id=iF_U1NoknHoC&pg=PA360 
  7. ^ a b c d Middle East Record Volume 1, 1960. The Moshe Dayan Center. p. 416. https://books.google.com/books?id=0LooyExir7EC&pg=PA416 
  8. ^ de Simone, Costanza (2009-12-22). “Wadi Halfa Museum: A Rescue Mechanism for the Nubian Intangible Heritage” (英語). Égypte/Monde arabe (5-6): 401–414. ISSN 1110-5097. https://ema.revues.org/2913. 
  9. ^ Elcheikh, Zeina (2014年1月13日). “Beyond the Borders: Nubian Culture and Cultural Tourism”. Preservation Journey. 2016年11月19日閲覧。
  10. ^ a b Griffiths, John F. (1976-01-01) (英語). Climate and the Environment. Westview Press. ISBN 9780891586111. https://books.google.fr/books?hl=fr&id=WwbrcF9xlbYC&dq=Wadi+Halfa+4300+hours+of+sunshine&focus=searchwithinvolume&q=Halfa 
  11. ^ Griffiths, John F.; Driscoll, Dennis M. (1982-01-01) (英語). Survey of Climatology. C.E. Merrill Publishing Company. ISBN 9780675099943. https://books.google.fr/books?hl=fr&id=8yxRAAAAMAAJ&dq=Wadi+Halfa+4300+hours+of+sunshine&focus=searchwithinvolume&q=100+%25+possible 
  12. ^ Brooks, Charles Ernest Pelham; Buxton, Patrick Alfred; (France), Société de géographie (1932-01-01) (フランス語). Le climat du Sahara et de l'Arabie. Société d'Editions Géographiques, Maritimes et Coloniales. https://books.google.com.cy/books?hl=fr&id=zaztAAAAMAAJ&focus=searchwithinvolume&q=Halfa 
  13. ^ Wadi Halfa Climate Normals 1961–1990”. アメリカ海洋大気庁. 2015年4月23日閲覧。