ローラ・ボベスコ
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ローラ・ボベスコ | |
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生誕 |
1921年8月9日 ルーマニア クラヨーヴァ |
死没 |
2003年9月4日(82歳没) ベルギー サルト=レ=スパ |
学歴 | パリ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ヴァイオリニスト |
担当楽器 | ヴァイオリン |
ローラ・ボベスコ (Lola Bobesco, 1921年8月9日 - 2003年9月4日[1][2])は、ルーマニア出身のヴァイオリニスト。本名はローラ・ヴィオレタ・アナ=マリア・ボベスク(Lola Violeta Ana-Maria Bobescu)。
経歴
[編集]1921年、クラヨーヴァで生まれた。作曲家で指揮者でもあった父オーレルに幼少時より薫陶を受け、1928年にパリに留学し、エコールノルマル音楽院でマルセル・シャイエのクラスに入った。1931年からはパリ音楽院でジュール・ブシューリに師事し、1935年にプルミエ・プリを取得して卒業した。その後もジョルジェ・エネスクやジャック・ティボーの薫陶を受け、1937年にウジェーヌ・イザイ・コンクールで7位入賞を果たした。
第二次世界大戦中はルーマニアに帰国して演奏活動を継続した。戦後はフランスのピアニスト、ジャック・ジャンティと結婚して夫婦でデュオを組んだ。またベルギーに活動の本拠を移し、1958年にワロニー王立室内管弦楽団を設立。1962年から1972年までブリュッセル王立音楽院とリエージュ音楽院の教授職を兼務して後進の指導に当たった。1990年には弦楽四重奏団のアルテ・デル・スオノを結成。
2003年、ベルギーワロン地域のサルト=レ=スパにて死去[3]。