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ローラント・マッテス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ローラント・マッテス
ローラント・マッテス(1970年)
選手情報
フルネーム Roland Matthes
ニックネーム 競泳界のロールス・ロイス
国籍 東ドイツの旗 東ドイツ
泳法 背泳ぎ
生年月日 1950年11月17日
没年月日 (2019-12-20) 2019年12月20日(69歳没)
死没地 ヴェルトハイム
身長 189cm
体重 74kg
獲得メダル
男子競泳競技
東ドイツの旗 東ドイツ
近代オリンピック
1968年 100m 背泳ぎ
1968年 200m 背泳ぎ
1972年 100m 背泳ぎ
1972年 200m 背泳ぎ
1968年 4x100m メドレーリレー
1972年 4x100m メドレーリレー
1972年 4x100m フリーリレー
1976年 100m 背泳ぎ
世界水泳選手権
1973年 100m 背泳ぎ
1973年 200m 背泳ぎ
1975年 100m 背泳ぎ
1973年 4x100m メドレーリレー
1973年 4x100m フリーリレー
ヨーロッパ水泳選手権
1970年 100m 背泳ぎ
1970年 200m 背泳ぎ
1970年 4x100m メドレーリレー
1974年 100m 背泳ぎ
1974年 200m 背泳ぎ
1970年 100m 自由形
1974年 100m バタフライ
1970年 4x100m フリーリレー
1970年 4x200m フリーリレー
1974年 4x100m フリーリレー
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ローラント・マッテスRoland Matthes1950年11月17日 - 2019年12月20日) は、ドイツの元競泳選手。史上最も成功した背泳ぎのスペシャリストとして知られた。1967年4月から1974年8月にかけて出場した全ての背泳種目で勝利を収めた。背泳ぎではヨーロッパ水泳選手権で2大会に跨り4冠、世界水泳選手権でも同じく2大会に跨り3冠に輝き、背泳ぎ、バタフライ自由形、メドレーリレーで19の世界記録と21のヨーロッパ記録を叩き出した[1][2]。マルリース・グローエによるトレーニングを受けた[3]

競技歴

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1968年1972年1976年のオリンピックに出場し、金4・銀2・銅2と合計8個のメダルを獲得した。1976年では100m背泳の銅メダルのみに留まったが、1968年と1972年には100m・200m背泳において金メダルを獲得。これら個人種目に加えて、1968年・1972年の4×100mメドレーリレーで銀、1972年の4×100mフリーリレーで銅メダルを獲得している[4]

1973年ベオグラードで開かれた第1回世界水泳選手権で100m・200m背泳の初代世界チャンピオンとなった。更に4×100mフリーリレーで銅メダル、4×100mメドレーリレーで銀メダルを獲得した。 2年後の1975年カリでは100m背泳の世界タイトルを防衛した。

1970年(バルセロナ)と1974年(ウィーン)のヨーロッパ水泳選手権では100mm・200m背泳で4つ全てのタイトルを獲得。その他個人ではバルセロナの100m自由形、ウィーンの100mバタフライで銀メダルを獲得。団体としてはバルセロナの4×100mメドレーリレーで金、4×100m・4×200mフリーリレーで銅、ウィーンの4×100mフリーリレーで銅メダルを獲得した。

1967年から1971年、1973年、1975年の計7回に亘って東ドイツ年間最優秀スポーツマン賞を受賞した。1981年、国際水泳殿堂入り[1]

東ドイツのドーピング問題は、同国のアスリートが残した業績の大部分に疑念を抱かせた。しかしマッテスは彼の所属していた水泳クラブが政府のシステムに組み込まれるにはあまりに小さなものであった事を明確にし、ドーピングへの関与を全て否定した[5]

私生活

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1970年から1977年までライプツィヒドイツ身体文化大学 (DHfK) でスポーツ科学を学び、1978年から1984年までイェーナ大学医学を学んだ[3]。卒業後は整形外科医として働いた。1976年に現役引退し、1978年5月に同じ東ドイツのオリンピックスイマーであるコルネリア・エンダーと結婚したが、1982年に離婚している[1][3][4]

死去

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2019年12月20日、69歳で永眠[6]

背泳のライバルで、オリンピックで5つのメダルを獲ったジョン・ネーバーは、訃報に際してマッテスについて「ローラントはこれまでの生涯で出会った最大の背泳選手でした。オリンピック2大会で背泳のタイトルを守った唯一の水泳選手であり、国際大会でフリーとバタフライのメダルも獲った。1972年ミュンヘンオリンピックの100メートルバタフライ決勝でローラントがスタートを失敗しなかったら、マーク・スピッツに勝利の栄冠は与えられなかったと言う人もいます。マッテスは背泳で10年間無敵でした。彼の滑らかなストロークと力強い加速は、私が見た彼のすべてのレースで前代未聞の結果を導き出しました。」と語った[7]


記録
先代
アメリカ合衆国の旗 チャールズ・ヒックコックス
男子100m背泳世界記録保持者
1967年9月21日 – 1976年7月18日
次代
アメリカ合衆国の旗 ジョン・ネーバー
先代
男子200m背泳世界記録保持者
1972年9月2日 – 1976年6月19日
次代
アメリカ合衆国の旗 ジョン・ネーバー
受賞
先代
東ドイツの旗 フランク・ウィーガンド
東ドイツ年間最優秀スポーツマン賞
1967年 – 1971年
次代
東ドイツの旗 ヴォルフガング・ノルトウイック
先代
東ドイツの旗 ヴォルフガング・ノルトウイック
東ドイツ年間最優秀スポーツマン賞
1973年
次代
東ドイツの旗 ハンス=ゲオルク・アッシェンバッハ
先代
東ドイツの旗 ハンス=ゲオルク・アッシェンバッハ
東ドイツ年間最優秀スポーツマン賞
1975年
次代
東ドイツの旗 ワルデマール・チェルピンスキー

脚注

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  1. ^ a b c Roland Matthes Profile: sports-reference.com[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine.. sports-reference.com
  2. ^ Roland Matthes アーカイブ 2007年1月13日 - ウェイバックマシン. ISHOF.org
  3. ^ a b c Das große Olympia Lexikon", Sport-Bild vom 19. June 1996, p. 43
  4. ^ a b Christian Tretbar (6 May 2008) Der DDR-Sport wird an den Pranger gestellt (interview in German). tagesspiegel.de
  5. ^ Matthes, Roland. Bundesstiftung zur Aufarbeitung der SED-Diktatur. bundesstiftung-aufarbeitung.de
  6. ^ Roland Matthes, 8-time Olympic medalist swimmer, dies at 69”. NBC Sports (2019年12月21日). 2020年7月26日閲覧。
  7. ^ Roland Matthes: First an Idol, Then a Friend; John Naber Remembers His Guide and Pal”. Swimming World. 2020年7月26日閲覧。

外部リンク

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