ロン・ミラー
ロン・ミラー | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ロン・ミラー ロニー・ミラー |
本名 | ロン・パーカー[1] |
ニックネーム | 豪州の鷹[2] |
身長 | 183cm[3] |
体重 | 108kg(全盛時)[3] |
誕生日 | 1945年??月??日[2] |
出身地 |
オーストラリア ニューサウスウェールズ州シドニー[3] |
デビュー | 1964年[1] |
ロン・ミラー(Ron "Dash" Miller、本名:Ron Parker[1]、1945年[2] - )は、オーストラリアのプロレスラー。ニューサウスウェールズ州シドニー出身。生年は1941年ともされる[1]。
タッグパートナーだったラリー・オーディと共に、豪州マット界のプロモーターとしても活動した[4]。
来歴
[編集]1964年[1]、当時オーストラリアでワールド・チャンピオンシップ・レスリングを主宰していたジム・バーネットにスカウトされてプロレス入り[2]。以降、1960年代はスパイロス・アリオン、ブルート・バーナード、マリオ・ミラノ、ロイ・ヘファーナン、アントニオ・プリエーゼ、ドン・レオ・ジョナサン、テックス・マッケンジー、ドリー・ディクソン、ビル・ロビンソンなどと対戦してキャリアを積んだ[5][6][7][8]。
1971年、キャンベラ出身のラリー・オーディと共に渡米し、ベビーフェイスのタッグチーム、ジ・オーストラリアンズ(The Australians)としてNWAの南部テリトリーを転戦[2]。エディ・グラハムが主宰していたフロリダのCWFでは、8月2日にロニー・ガービン&オレイ・アンダーソンからNWAフロリダ・タッグ王座を奪取[9]。以降もディック・マードック&ボビー・ダンカン、ジ・アラスカンズ、ジ・インフェルノスなどのチームを破り、同王座を通算4回に渡って獲得した[9]。テネシー地区ではスプートニク・モンロー&ノーベル・オースチンなどのチームと抗争を展開[10]。1972年5月19日にはNWAテネシー・タッグ王座も獲得している[11]。
1972年6月、オーディとのオーストラリアンズで日本プロレスの『第2次ゴールデン・シリーズ』に初来日。開幕戦の後楽園ホール大会では、当時のアジアタッグ王者チームだった坂口征二&吉村道明と対戦した[12]。オーストラリアでもオーディとのコンビで活躍し、ヒロ・トージョー&ヒト・トージョーなどのチームを下してNWA豪亜タッグ王座を再三獲得した[13]。
1973年末、ワールド・チャンピオンシップ・レスリングの主宰者だったバーネットが、オーストラリアの興行権を売却してアメリカに帰国。その後、団体の運営はトニー・コロニーを経て、1975年よりオーディとミラーが引き継いだ[4]。以降はオーディと共にプロモーターとして豪州マットを仕切りつつ、レスラーとしても団体の主軸となって活躍。1976年1月にはグレート・メフィストからNWA豪亜ヘビー級王座を奪取[14]。以降もアーニー・ラッドらを相手に、団体のフラッグシップ・タイトルである同王座のチャンピオンを担った[4]。1977年3月と7月には、当時ハーリー・レイスが保持していたNWA世界ヘビー級王座に連続挑戦[15]。1978年12月8日にはアンドレ・ザ・ジャイアントと組んでオックス・ベーカー&ブッチャー・ブラニガンを破り、NWA豪亜タッグ王座にも返り咲いた[13]。
しかし、団体はバーネット時代のような活況を呈せず、テレビ放送の打ち切りやインディー団体の乱立もあって1978年を最後に活動を停止[4]。以降は隣国ニュージーランドのオールスター・プロレスリングを主戦場とし、1980年にはパートナーのオーディを相手にNWA英連邦ヘビー級王座を争った[16]。
1982年5月、全日本プロレスの『エキサイト・シリーズ』への参戦で10年ぶりの再来日が実現[17]。5月28日の旭川大会では、アメリカ修業から凱旋帰国した大仁田厚の対戦相手を務めた[18]。1985年4月には、スタン・ハンセンやブルーザー・ブロディをオーストラリアに招聘しての短期ツアーを主催[4]。マーク・ヤングブラッドをパートナーに、ハンセン&ブロディのミラクルパワーコンビと連日対戦した[19]。翌月には新日本プロレスの『IWGP&WWFチャンピオン・シリーズ』への参戦も予定されていた[20]。
得意技
[編集]獲得タイトル
[編集]- NWAテネシー・タッグ王座:1回(w / ラリー・オーディ)[11]
- ワールド・チャンピオンシップ・レスリング(オーストラリア)
- NWA豪亜ヘビー級王座:2回[14]
- NWA豪亜タッグ王座:6回(w / ラリー・オーディ×4、ジョニー・グレイ、アンドレ・ザ・ジャイアント)[13]
- NWA世界ライトヘビー級王座(オーストラリア版):1回[22]
- オールスター・プロレスリング
- NWA英連邦ヘビー級王座:3回[16]
脚注
[編集]- ^ a b c d e “Ron Miller”. Wrestlingdata.com. 2023年3月24日閲覧。
- ^ a b c d e f 『THE WRESTLER BEST 1000』P311(1996年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b c d “Ron Miller”. Cagematch.net. 2023年3月24日閲覧。
- ^ a b c d e 『Gスピリッツ Vol.22』P89-91(2012年、辰巳出版、ISBN 4777809846)
- ^ “The WCW matches fought by Ron Miller in 1966”. Wrestlingdata.com. 2023年3月24日閲覧。
- ^ “The WCW matches fought by Ron Miller in 1967”. Wrestlingdata.com. 2023年3月24日閲覧。
- ^ “The WCW matches fought by Ron Miller in 1968”. Wrestlingdata.com. 2023年3月24日閲覧。
- ^ “The WCW matches fought by Ron Miller in 1969”. Wrestlingdata.com. 2023年3月24日閲覧。
- ^ a b c “NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年3月24日閲覧。
- ^ “The GWE matches fought by Ron Miller in 1972”. Wrestlingdata.com. 2023年3月24日閲覧。
- ^ a b “NWA Tennessee Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年3月24日閲覧。
- ^ “JPWA 1972 Golden Series II”. Puroresu.com. 2023年3月24日閲覧。
- ^ a b c “NWA Austra-Asian Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年3月24日閲覧。
- ^ a b “NWA Austra-Asian Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年3月24日閲覧。
- ^ “The WCW matches fought by Ron Miller in 1977”. Wrestlingdata.com. 2023年3月24日閲覧。
- ^ a b “NWA British Empire/Commonwealth Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年3月24日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Ron Miller in 1982”. Wrestlingdata.com. 2023年3月24日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Atsushi Onita in 1982”. Wrestlingdata.com. 2023年3月24日閲覧。
- ^ 『Gスピリッツ Vol.18』P22-23(2010年、辰巳出版、ISBN 4777808661)
- ^ “NJPW 1985 IWGP & WWF Champion Series”. Puroresu.com. 2023年3月24日閲覧。
- ^ “石森とのタッグで鮮烈デビュー! BULLET CLUBの新たな "狙撃手" ロビー・イーグルスとは何者なのか?”. 新日本プロレスリング (2018年10月20日). 2023年3月28日閲覧。
- ^ “NWA World Light Heavyweight Title [Australia]”. Wrestling-Titles.com. 2023年3月24日閲覧。