ロベール・ド・ブルゴーニュ (1300-1317)
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ロベール・ド・ブルゴーニュ Robert de Bourgogne | |
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サン=ドニ大聖堂にあるロベールの墓石 | |
出生 |
1300年ごろ |
死去 |
1317年9月3/4日 フランス王国、パリ、オテル・ダルトア |
埋葬 | フランス王国、パリ、コルドリエ修道院 |
家名 | アンスカリ家 |
父親 | ブルゴーニュ伯オトン4世 |
母親 | アルトワ女伯マオー |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
ロベール・ド・ブルゴーニュ(Robert de Bourgogne, 1300年ごろ - 1317年9月3/4日)は、ブルゴーニュ伯オトン4世とアルトワ女伯マオーの唯一の息子。
生涯
[編集]ロベールは生まれる前に相続から外されていた。すでに1295年3月2日に、父オトン4世は長女ジャンヌをフランス王フィリップ4世の次男フィリップと結婚させ、寡婦財産としてジャンヌがブルゴーニュ伯領を受け取ることを提案していたためである[1]。
1306年5月8日に、ロベールはイングランド王エドワード1世の末娘エリナーと婚約した。同年10月4日に教皇クレメンス5世はロベールとエリナーとの結婚に対する特許状を与えた。しかし、エリナーは1311年に死去し、突然にこの結婚話は消えることとなった[2]。
ロベールは1317年の9月3日もしくは4日にパリのオテル・ダルトアにおいて死去し、コルドリエ修道院に埋葬された。ロベールの墓は19世紀にサン=ドニ大聖堂の王室共同墓地に移された[3]。
脚注
[編集]- ^ Funck-Brentano 1888, p. 16.
- ^ Weir 2011, p. 90.
- ^ Hellot 1884, p. 30.
参考文献
[編集]- Funck-Brentano, Frantz. (1888) Philippe le Bel et la noblesse franc-comtoise. Paris: Bibliothèque de l'École des chartes.
- Hellot, Amédée. (1884) Chronique Parisienne Anonyme de 1316 à 1339. Nogent-le-Rotrou: Daupeley-Gouverneur.
- Weir, Alison. (2011) Britain's Royal Families : The Complete Genealogy. London: Random House. ISBN 978-1-4464-4911-0.