ロバート・フィック
デトロイト・タイガース時代 (2001年) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州トーランス |
生年月日 | 1974年3月15日(50歳) |
身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 200 lb =約90.7 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 捕手, 一塁手, 外野手 |
プロ入り | 1996年 ドラフト5巡目でデトロイト・タイガースから指名 |
初出場 | 1998年9月19日 |
最終出場 | 2007年9月27日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ロバート・フィック(Robert Fick, 1974年3月15日 - )は、MLBの元選手。ポジションは捕手、一塁手、外野手。アメリカ合衆国・カリフォルニア州トーランス出身。
経歴
[編集]プロ入り - タイガース時代 (1996 - 2002)
[編集]1992年6月1日に、ドラフト45巡目でオークランド・アスレティックスから、そして1995年6月1日にドラフト43巡目でデトロイト・タイガースから指名されたが、いずれも契約しなかった[1]。
1996年6月4日に、3度目のドラフトで5巡目でタイガースから指名され、7月5日に契約を結んだ[1]。プロ入り後、マイナーリーグのジェームズタウン・ジャマーズ (A-級) に配属され、43試合に出場。打撃面では、打率.248・1本塁打・14打点・3盗塁・OPS0.622という成績を残した。そして守備面では、23試合でキャッチャーとして守りに就き、3失策・守備率.982・盗塁阻止率21%という成績を残した。
1997年は、A級のウェストミシガン・ホワイトキャップスに昇格して122試合に出場。打率.341・16本塁打・90打点・13盗塁・OPS0.994という打撃成績を残した。守備面では、キャッチャーとして出場したのは9試合だけで、他に96試合でファースト、3試合でサードの守りに就いた。最も多く守ったファーストでは10失策・守備率.990を記録した。
1998年は、9月18日のミネソタ・ツインズ戦でメジャーデビューを果たし、ヒットを2本放って1打点を挙げた[1]。この年メジャーでは7試合に出場し、打率.364・3本塁打・7打点・1盗塁・OPS1.235という成績を残した。守備では、キャッチャーとファーストを守った。また、マイナーではAA級のジャクソンビル・サンズで130試合に出場し、打率.318・18本塁打・114打点・8盗塁・OPS0.939という成績を残した。
1999年は、手術した右肩のリハビリの影響で、前年のメジャー昇格以来、プレー出来ない状態が続いた[2]。しかし、9月以降にメジャーでプレーする機会を得たフィックは[3]、15試合に出場。9月27日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦では、ジェフ・モンゴメリーからグランドスラムを放ったが、これは当時のタイガースの本拠地であるタイガー・スタジアムで最後に記録された安打且つ得点であった[2]。また、同年マイナーではトレド・マッドヘンズ (AAA級) 、ウェストミシガン、GCL・タイガース (ルーキー級) の3階級で計20試合に出場し、打率.309・2本塁打・10打点・3盗塁・OPS0.856という成績を残した。
2000年は、66試合に出場して打率.252・3本塁打・22打点・2盗塁・OPS0.715という打撃成績を残した。守備では、ファースト34試合で4失策・守備率.984、キャッチャー16試合で1失策・守備率.981・盗塁阻止率29%という成績をのこしたほか、指名打者としても12試合に出場した。また、マイナーではトレドで17試合に出場した。
2001年は、124試合に出場して打率.272・19本塁打・61打点・OPS0.816という成績を記録。本塁打は自己最多であり、打率とOPSも100試合以上に出場したシーズンの中ではキャリアハイの数値だった。守備面では、キャッチャー78試合で6失策・守備率.986・盗塁阻止率17%、ファースト26試合で1失策・守備率.995、ライト8試合で無失策だった。
2002年は、オールスターにも選出され、代打からの出場でヒットを1本放った[4]。同年は148試合に出場し、打撃面では打率.270・17本塁打・63打点・OPS0.764という成績を残した。また、守備面ではライトに専念し、140試合で守って12失策・守備率.963という成績を記録。また、外野手として補殺 (21) 、失策、併殺の関与数 (5) でリーグトップだった[5]。オフの12月21日にFAとなった[1]。
ブレーブス時代 (2003)
[編集]2003年1月6日に、アトランタ・ブレーブスと契約を結んだ。ブレーブスでは126試合に出場し、打率.269・11本塁打・80打点・1盗塁・OPS0.753という成績を記録。守備面では115試合でファーストを守り、14失策・守備率.987・DRS+4という成績を残した。この年ブレーブスは地区優勝した為、フィックもキャリア初のポストシーズンを経験。ただ、シカゴ・カブスとのNLDS第4戦では、一塁を駆け抜ける際、エリック・キャロスの腕を叩いて捕球を妨害[6]。フィックは故意ではないと説明したものの、2万5,000ドルの罰金を科され、当時のブレーブスの監督だったボビー・コックスからも、別途罰金を科された (金額は未公表) [6]。なお、同シリーズでフィックは4試合に出場したが、ノーヒットに終わった[1]。そして、11月5日にブレーブスから解雇された[1]。
デビルレイズ時代 (2004)
[編集]2004年1月9日に、タンパベイ・デビルレイズと契約した[1]。デビルレイズでは76試合に出場し、打率.201・6本塁打・26打点・OPS0.600という成績を残した。守備面では、レフト、ファースト、ライト、キャッチャーの4ポジションで守りに就いた。8月18日に、デビルレイズをリリースされた[1]。
パドレス時代 (2004 - 2005)
[編集]デビルレイズから放出された翌日の8月19日、サンディエゴ・パドレスと契約した[1]。パドレス加入後は13試合に出場したが、打率.167・OPS0.500に終わった。なお、マイナーではAAA級のポートランド・ビーバーズで12試合に出場し、打率.380・2本塁打・6打点・1盗塁・OPS0.984を記録した。オフの11月1日にFAとなった[1]。
翌2005年2月19日に、パドレスと再契約[1]。同年はパドレスで93試合に出場し、打率.265・3本塁打・30打点・OPS0.705という打撃成績を残した。守備面では、ファースト、キャッチャー、ライト、レフト、サードの5ポジションを守った。サードの守りに就いたのは、メジャーでは2005年のみで、しかも1試合だけだった。マイナーでは、エル・パソで10試合に出場し、打率.375・3本塁打・11打点・1盗塁・OPS1.210という成績を残した。そして、10月28日にFAとなった[1]。
ナショナルズ時代 - 引退 (2006 - 2007)
[編集]2005年12月13日に、ワシントン・ナショナルズと契約を結んだ[1]。
2006年は、ナショナルズで60試合に出場して打率.266・2本塁打・9打点・1盗塁・OPS0.667という成績を残した。守備は、キャッチャー26試合で1失策・守備率.991・DRS-3・盗塁阻止率6%、ファースト13試合で無失策・DRS+1、ライト6試合で無失策・DRS-2を記録した。オフの10月30日にFAとなったが、12月20日に再契約[1]。
2007年は、4年ぶりの100試合以上となる118試合に出場し、打率.234・2本塁打・16打点・OPS0.614という成績を残した。守備では84試合でファーストを守り、4失策・守備率.989・DRS-3という成績を記録したほか、レフトとライトも守った。10月29日にFAとなった。
2007年12月21日にパドレスと契約を結んだが[1]、メジャー及びマイナーでは試合に出場せず、2008年は独立リーグであるゴールデンベースボールリーグのオレンジカウンティ・フライヤーズでプレー。61試合に出場して打率.299・5本塁打・48打点・1盗塁・OPS0.802という成績を残したが、同年引退した[7]。
選手としての特徴
[編集]打撃面では2001年から3年連続2桁本塁打を記録したようにパンチ力がある。守備面では捕手、一塁手、外野手と複数ポジションをこなせるという点が魅力だが、送球が不安定で肩も強くなく、守備範囲も狭いという弱点がある。
詳細情報
[編集]背番号
[編集]- デトロイト・タイガース
- 41 (1998)
- 31 (1999)
- 39 (1999)
- 18 (2000 - 2001)
- 25 (2001 - 2002)
- アトランタ・ブレーブス
- 23 (2003)
- タンパベイ・デビルレイズ
- 9 (2004)
- サンディエゴ・パドレス
- 29 (2004)
- 13 (2005)
- ワシントン・ナショナルズ
- 13 (2006 - 2007)
年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1998 | DET | 7 | 24 | 22 | 6 | 8 | 1 | 0 | 3 | 18 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 7 | 1 | .364 | .417 | .818 | 1.235 |
1999 | 15 | 49 | 41 | 6 | 9 | 0 | 0 | 3 | 18 | 10 | 1 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | 0 | 6 | 1 | .220 | .327 | .439 | .766 | |
2000 | 66 | 188 | 163 | 18 | 41 | 7 | 2 | 3 | 61 | 22 | 2 | 1 | 0 | 2 | 22 | 2 | 1 | 39 | 4 | .252 | .340 | .374 | .715 | |
2001 | 124 | 448 | 401 | 62 | 109 | 21 | 2 | 19 | 191 | 61 | 0 | 3 | 0 | 4 | 39 | 3 | 4 | 62 | 10 | .272 | .339 | .476 | .816 | |
2002 | 148 | 614 | 556 | 66 | 150 | 36 | 2 | 17 | 241 | 63 | 0 | 1 | 0 | 5 | 46 | 4 | 7 | 90 | 17 | .270 | .331 | .433 | .764 | |
2003 | ATL | 126 | 460 | 409 | 52 | 110 | 26 | 1 | 11 | 171 | 80 | 1 | 0 | 0 | 7 | 42 | 4 | 2 | 47 | 9 | .269 | .335 | .418 | .753 |
2004 | TBD | 76 | 238 | 214 | 12 | 43 | 5 | 2 | 6 | 70 | 26 | 0 | 0 | 0 | 2 | 20 | 2 | 2 | 32 | 2 | .201 | .273 | .327 | .600 |
SDP | 13 | 15 | 12 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 4 | 0 | .167 | .333 | .167 | .500 | |
'04計 | 89 | 253 | 226 | 14 | 45 | 5 | 2 | 6 | 72 | 26 | 0 | 0 | 0 | 2 | 22 | 2 | 3 | 36 | 2 | .199 | .277 | .319 | .595 | |
2005 | 93 | 260 | 230 | 25 | 61 | 10 | 2 | 3 | 84 | 30 | 0 | 2 | 1 | 2 | 26 | 2 | 1 | 33 | 4 | .265 | .340 | .365 | .705 | |
2006 | WSN | 60 | 141 | 128 | 14 | 34 | 4 | 0 | 2 | 44 | 9 | 1 | 1 | 2 | 0 | 10 | 1 | 1 | 24 | 4 | .266 | .324 | .344 | .667 |
2007 | 118 | 221 | 197 | 24 | 46 | 6 | 1 | 2 | 60 | 16 | 0 | 1 | 1 | 1 | 19 | 1 | 3 | 42 | 9 | .234 | .309 | .305 | .614 | |
通算:10年 | 846 | 2658 | 2373 | 287 | 613 | 116 | 12 | 69 | 960 | 324 | 6 | 9 | 4 | 24 | 235 | 19 | 22 | 386 | 61 | .258 | .328 | .405 | .732 |
獲得タイトル・表彰・記録
[編集]- オールスターゲーム選出:1回 (2002年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o Robert Fick - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月16日閲覧。
- ^ a b STEVE HENSON (1999年9月29日). “Fick’s Home Run Sails Into History With Tiger Stadium” (英語). Los Angeles Times. 2020年2月16日閲覧。
- ^ Robert Fick 1999 Batting Game Logs - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月16日閲覧。
- ^ 2002 All-Star Game Box Score, July 9 - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月16日閲覧。
- ^ 2002 American League Fielding Leaders - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月16日閲覧。
- ^ a b ESPN.com news services (2003年10月6日). “Fick insists 'it's baseball'” (英語). ESPN. 2020年2月16日閲覧。
- ^ Tony Almeyda (2016年3月7日). “Braves rewind: Whatever happened to…Robert Fick?” (英語). Talking Chop. 2020年2月16日閲覧。