ロバート・ディロン (第3代クロンブロック男爵)
第3代クロンブロック男爵ロバート・ディロン(英語: Robert Dillon, 3rd Baron Clonbrock、1807年3月29日 – 1893年12月4日)は、アイルランド貴族。保守党に属し、1838年から1893年までアイルランド貴族代表議員を、1874年から1892年までゴールウェイ統監を務めた[1]。
生涯
[編集]第2代クロンブロック男爵ルーク・ディロンと妻アナスタシア(Anastasia、1785年10月31日 – 1816年6月5日、初代ウォールズコート男爵ジョセフ・ブレイクの娘)の息子として、1807年3月29日に生まれた[1]。イートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1825年3月21日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1827年にB.A.の学位を、1830年にM.A.の学位を修得した[2]。1826年12月13日に父が死去すると、クロンブロック男爵位を継承した[1]。
1838年2月20日にアイルランド貴族代表議員に当選、1893年に死去するまで務めた[3]。貴族院では保守党に属した[1]。
1874年5月28日にゴールウェイ統監に任命され、1892年6月13日までに辞任して統監職を長男に譲った[4]。
1883年時点でゴールウェイ県に29,550エーカーの領地(年収11,873ポンド相当)を所有した[1]。
1893年12月4日にゴールウェイ県クロンブロック(Clonbrock)で死去、アハスクラで埋葬された[1]。息子ルーク・ジェラルドが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1830年6月15日、キャロライン・エリザベス・スペンサー(Caroline Elizabeth Spencer、1805年6月28日 – 1864年12月17日、初代チャーチル男爵フランシス・スペンサーの娘)と結婚[1]、4男8女をもうけた[5]。
- フランシス・レティシア(1831年[5] – 1911年9月26日) - 生涯未婚[6]
- ルーク・アルメリック(1832年7月5日 – 1833年2月[5])
- ルーク・ジェラルド(1834年3月10日 – 1917年5月12日) - 第4代クロンブロック男爵[1][4]
- キャロライン・アナスタシア(1837年10月5日[5] – 1907年4月15日) - 1877年1月30日、ウィリアム・ディルトリー(William Dealtry、1900年9月19日没、聖職者トマス・ディルトリーの息子)と結婚[6]
- ロバート・ヴィリアーズ(1838年12月10日 – 1923年4月19日) - 1873年6月3日、ハリエット・キャロライン・エリザベス・グラッドストン(Harriet Caroline Elizabeth Gladstone、1932年2月25日没、アダム・ステュアート・グラッドストンの娘)と結婚、1男2女をもうけたが、息子チャールズ・ヘンリーは1901年に第二次ボーア戦争で戦死した[6]
- ヘレン・イザベラ(1840年5月15日[5] – 1916年11月8日) - 生涯未婚[6]
- ルイーザ・エミリア(1841年10月12日[5] – 1927年5月23日) - 生涯未婚[6]
- フランシス・ウィリアム(1842年12月20日 – 1858年4月9日[6])
- ジョージアナ・ルイーザ(1844年2月10日 – 1892年5月2日[5]) - 生涯未婚[6]
- アリス・エリザベス(1845年11月19日 – 1878年12月18日) - 1866年7月26日、アンブローズ・コングリーヴ(Ambrose Congreve)と結婚[5]
- キャサリン・シャーロット(1847年4月16日[5] – 1927年8月14日) - 生涯未婚[6]
- エリザベス・オクタヴィア(1848年8月16日[5] – 1928年1月12日) - 1875年1月13日、初代準男爵サー・ヒュー・ジョン・エリス=ナニー(1920年6月7日没)と結婚、子供あり[6]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 327–328.
- ^ Foster, Joseph (1888–1892). . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 1. Oxford: Parker and Co. p. 371. ウィキソースより。
- ^ Sainty, John Christopher (1968). A List of Representative Peers for Scotland, 1707 to 1963, and for Ireland, 1800 to 1961 (英語). House of Lords Record Office. p. 31.
- ^ a b Sainty, John Christopher (September 2005). "Lieutenants and Lords-Lieutenants (Ireland) 1831-". Institute of Historical Research (英語). 2018年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j Lodge, Edmund, ed. (1901). The Peerage and Baronetage of the British Empire as at Present Existing (英語) (70th ed.). London: Hurst and Blackett. p. 161.
- ^ a b c d e f g h i Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 1 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 572.
名誉職 | ||
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クロンブロック男爵 1826年 – 1893年 |
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