ロバート・ジェンキンソン (第4代準男爵)
第4代準男爵サー・ロバート・バンクス・ジェンキンソン(英語: Sir Robert Bankes Jenkinson, 4th Baronet、1687年1月24日洗礼 – 1738年7月2日)は、イギリスの政治家。1717年から1727年まで庶民院議員を務めた[1]。
生涯
[編集]第2代準男爵サー・ロバート・ジェンキンソン(1655年頃 – 1710年1月30日)とサラ・トムリンズ(Sarah Tomlins、1709年8月8日没、トマス・トムリンズの娘)の次男として生まれ、1687年1月24日にチャールベリーで洗礼を受けた[1]。1703年2月18日にオックスフォード大学トリニティ・カレッジに入学、1705年にリンカーン法曹院に入学した後[2]、1713年に弁護士資格免許を取得した[3]。
1717年10月29日に兄ロバートが死去すると、準男爵位を継承した[1]。また、兄の死によりオックスフォードシャー選挙区の議席が空位になり、12月4日に補欠選挙が行われることとなったが、ジェンキンソンがトーリー党の候補として挙げられたのに対し、サー・ジョン・ドイリー(Sir John D'Oyly)がホイッグ党の候補として挙げられた[4]。しかし、オックスフォードシャー選挙区ではトーリー党の勢力が強く、ドイリーがマールバラ公爵夫人サラ・チャーチル(ホイッグ党の重鎮)の支持を得ていても勝ち目が薄く、結局ドイリーは立候補を取りやめ、ジェンキンソンは無投票当選した[4]。議会ではトーリー党員として政府に反対し、1722年イギリス総選挙で無投票で再選したが、1727年イギリス総選挙には立候補しなかった[3]。
1718年6月12日[3]、キャサリン・ダッシュウッド(Catherine Dashwood、1780年3月24日埋葬、初代準男爵サー・ロバート・ダッシュウッドの娘)と結婚[1]、2男2女をもうけた[3]。
1738年7月2日にオックスフォードで病死[3]、6日にチャールベリーで埋葬された[1]。長男ロバートが爵位を継承した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward, ed. (1903). The Complete Baronetage. Vol. 3. Exeter: William Pollard & Co. pp. 197–198.
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). "Jablonski-Juxston". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 793–836.
- ^ a b c d e Cruickshanks, Eveline (1970). "JENKINSON, Sir Robert Bankes, 4th Bt. (1687-1738), of Walcot, Oxon. and Hawkesbury, Glos.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年12月7日閲覧。
- ^ a b Cruickshanks, Eveline (1970). "Oxfordshire". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年12月7日閲覧。
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先代 サー・ロバート・ジェンキンソン準男爵 ジェームズ・ハーバート |
庶民院議員(オックスフォードシャー選挙区選出) 1717年 – 1727年 同職:ジェームズ・ハーバート 1717年 – 1721年 ヘンリー・ペロット 1721年 – 1727年 |
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