ロバート・シャーリー (第6代フェラーズ伯爵)
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第6代フェラーズ伯爵ロバート・シャーリー(英語: Robert Shirley, 6th Earl Ferrers、1723年7月18日 – 1787年4月17日)は、グレートブリテン貴族。貴族院議員としてはホイッグ党寄りだったが、1783年のフォックス=ノース連立内閣に反対して小ピット派に転じた。
生涯
[編集]ローレンス・シャーリー閣下(Hon. Laurence Shirley、1693年9月26日 – 1743年4月27日、初代フェラーズ伯爵ロバート・シャーリーの十男)とアン・クラージズ(Anne Clarges、1782年5月27日没、初代準男爵サー・ウォルター・クラージズの娘)の三男として、1723年7月18日に生まれ、20日にピカデリーの聖ジェームズ教会で洗礼を受けた[1][2]。
1754年12月26日、キャサリン・コットン(Catherine Cotton、1786年3月26日没、ローランド・コットンの娘)と結婚[1]、3男をもうけた[3]。
- ロバート(1756年9月21日 – 1824年6月6日) - 第7代フェラーズ伯爵
- ローレンス・ローランド(1757年11月3日洗礼 – 1773年2月5日) - ジョセフ・ライトの『太陽系儀の講義』に描かれている人物の1人
- ワシントン(1760年11月13日 – 1842年10月2日) - 第8代フェラーズ伯爵
1778年10月1日に兄ワシントンが死去すると、フェラーズ伯爵位を継承した[1]。
1787年4月17日にメリルボーンのアッパー・シーモア・ストリート(Upper Seymour Street)で死去、レスターシャーのブレドン(Bredon)で埋葬された[1]。長男ロバートが爵位を継承した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 336–338.
- ^ "Ferrers, Earl (GB, 1711)". Cracroft's Peerage (英語). 29 June 2019. 2020年10月29日閲覧。
- ^ Shirley, Evelyn Philip (1873). Stemmata Shirleiana (英語) (2nd ed.). Westminster: Nichols and Sons. pp. 198, 201–202.
外部リンク
[編集]グレートブリテンの爵位 | ||
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先代 ワシントン・シャーリー |
フェラーズ伯爵 1778年 – 1787年 |
次代 ロバート・シャーリー |