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ロバート・シャーリー (第6代フェラーズ伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第6代フェラーズ伯爵ロバート・シャーリー英語: Robert Shirley, 6th Earl Ferrers1723年7月18日1787年4月17日)は、グレートブリテン貴族貴族院議員としてはホイッグ党寄りだったが、1783年のフォックス=ノース連立内閣に反対して小ピット派に転じた。

生涯

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ローレンス・シャーリー閣下(Hon. Laurence Shirley、1693年9月26日 – 1743年4月27日、初代フェラーズ伯爵ロバート・シャーリー英語版の十男)とアン・クラージズ(Anne Clarges、1782年5月27日没、初代準男爵サー・ウォルター・クラージズ英語版の娘)の三男として、1723年7月18日に生まれ、20日にピカデリー聖ジェームズ教会英語版で洗礼を受けた[1][2]

1754年12月26日、キャサリン・コットン(Catherine Cotton、1786年3月26日没、ローランド・コットンの娘)と結婚[1]、3男をもうけた[3]

1778年10月1日に兄ワシントンが死去すると、フェラーズ伯爵位を継承した[1]

1787年4月17日にメリルボーンのアッパー・シーモア・ストリート(Upper Seymour Street)で死去、レスターシャーのブレドン(Bredon)で埋葬された[1]。長男ロバートが爵位を継承した[1]

出典

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  1. ^ a b c d e Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 336–338.
  2. ^ "Ferrers, Earl (GB, 1711)". Cracroft's Peerage (英語). 29 June 2019. 2020年10月29日閲覧
  3. ^ Shirley, Evelyn Philip (1873). Stemmata Shirleiana (英語) (2nd ed.). Westminster: Nichols and Sons. pp. 198, 201–202.

外部リンク

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グレートブリテンの爵位
先代
ワシントン・シャーリー
フェラーズ伯爵
1778年 – 1787年
次代
ロバート・シャーリー