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ロスピタレ (アルプ=ド=オート=プロヴァンス県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
L'Hospitalet



地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏
(département) アルプ=ド=オート=プロヴァンス県
(arrondissement) フォルカルキエ郡
小郡 (canton) レヤンヌ小郡
INSEEコード 04095
郵便番号 04150
市長任期 マルセル・イストリア[1]
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Pays de Banon
人口動態
人口 89人
2012年
人口密度 4.6人/km2
住民の呼称 Hospitaliens[2]
地理
座標 北緯44度05分16秒 東経5度41分57秒 / 北緯44.0877777778度 東経5.69916666667度 / 44.0877777778; 5.69916666667座標: 北緯44度05分16秒 東経5度41分57秒 / 北緯44.0877777778度 東経5.69916666667度 / 44.0877777778; 5.69916666667
標高 平均:m
最低:779m
最高:1 632m
面積 19.35km2 (1 935ha)
L'Hospitaletの位置(フランス内)
L'Hospitalet
L'Hospitalet
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ロスピタレL'Hospitalet)は、フランスプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏アルプ=ド=オート=プロヴァンス県コミューン

地理

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ミストラルから住宅を守るために通りは狭い

コミューンは標高880mの地点にある[3]。村は高原から吹きおりるミストラル風にさらされている。

コミューンは、リュール山地の一部、サンビュゲ山のふもとに位置している[4]。コミューンの北、サン・ヴァンサン峠は、ジャブロン谷における、フォルカルキエからサン・ヴァンサンまでの古くからの道であった。高山地帯であるコントラ高原は、カシの森で覆われた南側の丘陵やクリが根付いた南西部、東側の珪質陥没穴とは対照的である[5]

ロスピタレを、全長約14kmのラヴァン・ド・ラ・コンブ・クリュ川が横断する[6]

コミューンは、面積の約半分に相当する980ヘクタールが森林である。

ロスピタレは高プロヴァンス地方に属し、内陸性の地中海性気候の恩恵を受けている。夏は暑いが冬は涼しく頻繁に霜が降りる。リュール山地によってコミューンは守られているが、時に激しくミストラルが吹く。シロッコはまれにしか起きない。

由来

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定住地は1200年代に書かれた公文書に初めて登場する(Espitalum)。この用語はプロヴァンス語でespital、病院である。聖ヨハネ騎士団を参考にしているので小さな病院を意味するのではない[7][8]

歴史

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村で見つかった唯一のガロ・ローマ時代の遺構は、青銅でできたラバである[9]。古代、ガリア系のソギオンティ族がリュール山地に定住し、のちに同じガリア系のウォコンティイ族と融合した。ガリア戦争後、彼らはローマ属州ガリア・ナルボネンシスと結び付けられた。2世紀、これらの人々はウォコンティイ族から切り離され、首都セギュステロ(現在のシストロン)と同じく、異なる市民意識を持つようになった[10]

12世紀より前から村は、ジローヌ(Girone)の名で存在し、のち聖ヨハネ騎士団に与えられた[11]。ロスピタレという名が村に与えられた。これは12世紀終わりから聖ヨハネ騎士団の病院が設置されたためである[12][13]。2つの日付が掲示されている。1つは1160年[14]、残りは1250年である[15]。しかし、彼らの修道院の所有物は12世紀初頭に確認され、我々は騎士団の村の寄付の日付を知ることができる[16]。最初の建物であるcastrum de Hospitalariiの建設に従事したのは、マノスクの聖ヨハネ騎士団員であった[17]

Espitaletumはしたがって、ラルディエールにハンセン病患者病院を開いた聖ヨハネ騎士団傘下小修道院の本拠地であった[17]。シミアーヌ家は13世紀から領主であり、この領地はソマヌ(現在はコミューン)とつながりがあった。共同体はフォルカルキエの司法管区に属した。15世紀終わり、村には2つしか竈がなく、またおそらく9人の定住者がいた。

住民たちは自らの自治を購入した[3]。フランス革命の間、コミューンは1792年暮れに創設された愛国者党を抱えていた。19世紀半ばの村には225人の人口があり、その後徐々に人口が減少していった[15]

フランス第2共和政に対してルイ・ナポレオン・ボナパルトが起こした1851年12月2日のクーデターでは、憲法を守るためにバス・ザルプ県でも武装蜂起があった。蜂起が失敗した後、共和国防衛に立ち上がった人々に厳しい弾圧が続いた。ロスピタレ住民3人が合同委員会に提起している[18]

県の多くのコミューンと同様に、ジュール・フェリー法が施行される以前からロスピタレは学校を採用していた。

20世紀半ばまで、ロスピタレではワイン用のブドウ栽培が行われていた。生産されたワインは品質が低く、大量消費用であった。ワイン製造の伝統は現在廃れてしまっている[19]。同様に、19世紀に栽培の標高の限界であるわずかな面積で栽培されていたオリーブの木も、いまや消えうせてしまった[20]

経済

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2009年時点で、ロスピタレの労働者は失業中の8人を含めて40人であった[21]。こうした労働者はほとんどが従業員で、主にコミューンの外で働いている[22]

ロスピタレの農家はAOC認定されたラベルを4つ持っている。ラベンダー精油(Huile essentielle de lavande de Haute-Provence)、バノン・チーズ、オリーブオイル(fr:Huile d'olive de Provence AOCfr:Huile d'olive de Haute-Provence)である。地理的表示保護ラベル(IGP)は20持っており、ヒトツブコムギ、コムギ、プロヴァンス産ハチミツ、シストロン産ラム肉、ドローム産鶏肉が含まれる。

人口統計

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1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2007年 2012年
32 49 33 52 58 78 88 89

情報源 = EHESS[23], 1968年以降INSEE[24] · [25] · [26]

史跡

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ジロン集落は19世紀半ばにまだ人が住んでいたが[4]、廃墟となった。13世紀まで教区教会だったサン・ミシェル礼拝堂、3箇所の泉があった(現在は消滅)。シャン・ド・ラマン集落は常に水をたたえた洗濯場を維持している。

教区教会であるサン・ジャン・バティスト教会は、本質的に13世紀に建てられたものだが1865年に再建されている[27]。そこには12世紀からの日付が残る一部、そして聖ヨハネ騎士団が建てた最初の小修道院の唯一の遺構が残る[28]

伝統的な定住地

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伝統的なプロヴァンスの定住地の様々な形態が、コミューンで見られる。天井に高さのある住宅では人と家畜が同じ屋根の下で暮らしていただけでなく、丘の上に他から孤立してたつ住宅もあった。19世紀には村の外側にも住宅がたった。こうした建物は全て、農業のニーズに合わせて考案されている。果物を干すためのテラス、干草や穀物を振るう屋根裏部屋などである。

文献

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  • fr:Jean-Joseph-Maxime Féraud, L'Histoire, la Géographie et la Statistique des Basses-Alpes, Lacour, Rediviva, Nîmes,‎ 2002 (1re éd. 1861) (ISBN 2841492346)
  • Sous la direction d’Édouard Baratier, Georges Duby, et Ernest Hildesheimer, Atlas historique. Provence, Comtat Venaissin, principauté d’Orange, comté de Nice, principauté de Monaco, Paris, Librairie Armand Colin, 1969 (notice BnF no FRBNF35450017h)
  • Raymond Collier, La Haute-Provence monumentale et artistique, Digne, Imprimerie Louis Jean, 1986, 559 p.
  • fr:Fernand Benoit, La Provence et le Comtat Venaissin. Arts et traditions populaires, Éd. Aubanel, 1992, ISBN 2-70060061-4
  • Patrick Ollivier-Elliott, Terres de Sault, d'Albion et de Banon, Édisud, Aix-en-Provence,‎ 1996 (ISBN 2-85744859-7)

脚注

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  1. ^ Préfecture des Alpes-de-Haute-Provence, « Liste des maires Archived 2014年10月22日, at the Wayback Machine. », 2014, consultée le 20 octobre 2014.
  2. ^ Roger Brunet, « Canton de Banon [archive] », Le Trésor des régions, consultée le 9 juin 2013
  3. ^ a b Michel de La Torre, Alpes-de-Haute-Provence : le guide complet des 200 communes, Paris, Deslogis-Lacoste, coll. « Villes et villages de France », 1989, Relié, 72 p. (non-paginé) (ISBN 2-7399-5004-7)
  4. ^ a b Jean-Joseph-Maxime Féraud, op. cit., p. 614.
  5. ^ Patrick Ollivier Elliott, op. cit., p. 156.
  6. ^ Ravin de la Combe crue sur le site du SANDRE
  7. ^ Ernest Nègre, Toponymie générale de la France : étymologie de 35 000 noms de lieux, vol. 3 : Formations dialectales (suite) ; formations françaises, Genève, Librairie Droz, coll. « Publications romanes et françaises » (no 195), 1991, 1852 p. (lire en ligne [archive]) § 27379, p. 1514.
  8. ^ Bénédicte Fénié, Jean-Jacques Fénié, Toponymie provençale, Éditions Sud-Ouest, 2002 (réédition), ISBN 978-2-87901-442-5, p. 59
  9. ^ Raymond Collier, La Haute-Provence monumentale et artistique, Digne, Imprimerie Louis Jean, 1986, 559 p., p. 455
  10. ^ Brigitte Beaujard, « Les cités de la Gaule méridionale du IIIe au VIIe s. », Gallia, 63, 2006, CNRS éditions, p. 18-19
  11. ^ Daniel Thiery, « L’Hospitalet [archive] », Aux origines des églises et chapelles rurales des Alpes-de-Haute-Provence, publié le 22 décembre 2010, mis à jour le 7 décembre 2011, consulté le 25 juillet 2012
  12. ^ Raymond Collier, op. cit., p. 93.
  13. ^ Sous la direction d’Édouard Baratier, Georges Duby, et Ernest Hildesheimer, Atlas historique. Provence, Comtat Venaissin, principauté d’Orange, comté de Nice, principauté de Monaco, Paris, Librairie Armand Colin, 1969 (notice BnF no FRBNF35450017h), p. 178.
  14. ^ Carnets du Patrimoine, op. cit., p. 302.
  15. ^ a b Patrick Ollivier Elliott, op. cit., p. 155
  16. ^ Daniel Thiery, « L’Hospitalet [archive] », Aux origines des églises et chapelles rurales des Alpes-de-Haute-Provence, publié le 22 décembre 2010, mis à jour le 7 décembre 2011, consulté le 25 juillet 2012
  17. ^ a b Jean-Joseph-Maxime Féraud, op. cit., p. 614.
  18. ^ Henri Joannet, Jean-Pierre Pinatel, « Arrestations-condamnations », 1851-Pour mémoire, Les Mées : Les Amis des Mées, 2001, p. 72.
  19. ^ André de Réparaz, « Terroirs perdus, terroirs constants, terroirs conquis : vigne et olivier en Haute-Provence XIXe-XXIe siècles [archive] », Méditerranée, 109 | 2007, p. 56 et 59
  20. ^ Réparaz, op. cit., p. 58
  21. ^ Insee, Dossier local - Commune : L’Hospitalet [archive], p. 5 (mis à jour le 28 juin 2012) ↑ a et b Insee, Dossier local, p. 7
  22. ^ Insee, Dossier local, p. 7
  23. ^ EHESS, notice communale de L’Hospitalet [archive] sur la base de données Cassini, consultée le 25 juillet 2009
  24. ^ "Résultats du recensement de la population - L'Hospitalet". le site de l'Insee. 2012年1月1日閲覧
  25. ^ "Recensement de la population au 1er janvier 2007". le site de l'Insee. 2012年1月1日閲覧
  26. ^ "Populations légales 2010 en vigueur le 1er janvier 2013". le site de l'Insee. 2013年1月1日閲覧
  27. ^ Sous la direction d’Édouard Baratier, Georges Duby, et Ernest Hildesheimer, Atlas historique. Provence, Comtat Venaissin, principauté d’Orange, comté de Nice, principauté de Monaco, Paris, Librairie Armand Colin, 1969 (notice BnF no FRBNF35450017h), p. 178.
  28. ^ Patrick Ollivier Elliott, op. cit., p. 155.