ロシア帝国独立国境警備団
ロシア帝国独立国境警備団(ろしあていこくどくりつこっきょうけいびだん。Отдельный корпус пограничной стражи;略称:ОКПС)は、ロシア帝国の国境警備隊。財務省に所属したが、構成員の大部分は軍人であった。
歴史
[編集]1893年10月15日、財務相セルゲイ・ヴィッテ伯爵の提案により、アレクサンドル3世が独立国境警備団の創設を命令した。国境警備団総裁にはウィッテがなり、警備団長にはアレクサンドル・スヴィニン砲兵大将が任命された。国境警備団の編成には、軍事的アプローチが取られ、管区-旅団-分遣隊-支隊-哨所の建制が確立された。
独立国境警備団は、財務省に所属し、国境警備団総裁(1914年7月13日から独立国境警備団総司令官)が指導した。国境警備団の直接の指揮は、国境警備団長が行い、軍管区長又は国防省の総局長と同格の地位を有した。国境警備団本部は、隊列局、国境監視局、兵器局、経済局の4局から成った。
1899年2月1日、少将を長とする7個国境警備管区が設置された。1900年、国境警備団の編成下には、31個旅団、2個特別分遣隊、1個小艦隊が存在し、総員36,709人(内、将校1033人)を数えた。
国境勤務は、隊列勤務(国境線の監視と監督)と諜報勤務(エージェントと部隊偵察)に分かれた。1910年には「独立国境警備団規則」、1912年には「独立国境警備団官吏勤務通達」が採択された。
第一次世界大戦勃発と共に、ザカフカーズと中央アジアの部隊を除き、全国境旅団が戦時編成に移り、国防省所属に移管された。1917年1月1日、ニコライ2世の勅令により、独立国境警備団は、独立国境団に改称された。
1917年の2月革命時、国境団本部は、革命派の兵士達によって占拠された。同年3月、国境団兵士の復員が始まり、国境団長のN.プイハチェフを含めて、二月革命に参加しなかった全将校が解任された。
1918年3月30日、財務人民委員部に国境警備総局が創設されたが、総局長のG.モカセイ=シビンスキー中将は、革命前と同じように業務を続けた。1918年7月には、元将校の9割が局に復帰し、ロシア共産党(ボリシェヴィキ党)党員は1人もいなかった。このような態度は共産党指導部の不興を招き、国境警備総局の国境警備会議軍事委員は、彼を解任すべきとの結論を下した。その結果、1918年9月6日、モカセイ=シビンスキーは解任された。また、国境団の解散も決定され、多くの将校は白衛軍に身を投じるか、外国に亡命することとなった。
歴代国境警備団長
[編集]- アレクサンドル・スヴィニン砲兵大将(1893年 - 1908年)
- N.プイハチェフ歩兵大将(1908年 - 1917年)
- G.モカセイ=シビンスキー中将(1917年 - 1918年)
色別章
[編集]1904—1909年数 | |||||||||
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肩章 | |||||||||
階級 | 実権ある(現任)枢密議官, 国務長官 (Действительный тайный советник) |
中将 (Генерал- лейтенант) |
少将 (Генерал- майор) |
大佐 (Полковник) |
中佐 (Подполковник) |
騎兵大尉 (ドイツ) (Ротмистр) |
騎兵大尉 (ドイツ) 参謀 (Штабс-ротмистр) |
中尉 (Поручик) |
騎兵少尉 (コルネット) (Корнет) |
軍集団 | 将官 (Генералы) |
佐官 (Штаб-офицеры) |
准士官 (Обер-офицеры) |
1904—1909年数 | |||||||||
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肩章 | |||||||||
軍隊の階級 | 軍曹 (一等軍曹) (Старший вахмистр) |
軍曹 (二等軍曹) (Младший вахмистр) |
伍長 (下士官) (Унтер-офицер) |
上等兵 (Ефрейтор) |
二等兵 (Рядовой) | ||||
軍集団 | 尉官 (Унтер-офицеры) |
兵 (Рядовые) |