レンマ
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レンマ(英語: lemma)とは、哲学用語のひとつで、「律」、「句」の意味。ギリシア語ではλῆμμα。「取る」、「受け取る」という直観的な把握の意味のギリシア語λαμβαυωから出来上がっている名詞で、本来的には、チャトゥシュ・コーティカ(サンスクリット: catuskoti)のギリシア語訳でテトラ・レンマτετραλῆμμαという名前の思考スタイルが、これを4つ使って構成される。漢訳では四句分別という。が、自著『ロゴスとレンマ』における山内得立のように、そのスタイル自体を指して、また、下の表にある四レンマのうちの三番目である「両非のレンマ」を中心とする思考自体を、レンマと称する姿勢がある。
四句分別はインド古来の思考様式と言われる。インド式論理を構成するものの一つとインドでは見られている。バラモン教、ヒンドゥー教の聖典の一つである讃歌『リグ・ヴェーダ』中の「宇宙開闢の歌」の冒頭には、無も有もなかったという内容の表現があるが、ここにも、形式化はなされていないものの、同じ思考スタイルが見られる。ちなみに『リグ・ヴェーダ』は紀元前1700–1100年頃にサンスクリット語で作られ、後代に書き記されているが、インド・ヨーロッパ語族の最古の文献の一つである。数世紀を隔てた後代に、釈迦よりも年長で、出自としてはバラモンという最高位の司祭であったところの、六師外道という仏教外の宗教家たちの一人であった懐疑主義系のサンジャヤ・ベーラッティプッタなどが、首唱した。古代ギリシアに発する西洋のロゴス論理はそれよりも古いこの、二つの律にそれらを無律化する二律を加えて成る(テトラ)レンマ論理から見れば、その中の先行する二つの律のみへ特化して出現していると言える。ロゴス論理は言わば(葛藤の意味を伴う前の)「二句分別」としてのディレンマDilemmaである。
西洋的なものであるロゴス(科学、論理、言語、言語依拠制度、[個物]同一性)を、東アジア的に空無化もしくは相対化することを助ける。下の4つが四句である。ロゴスは1-2の律のみへ、収束される。
1 | 肯定 | 西洋排中律←[個物]同一性へ向かう |
2 | 否定 | 西洋排中律←[個物]同一性へ向かう |
3 | 肯定でも否定でもない | 東洋容中律←[個物]同一性へ向かわない |
4 | 肯定でも否定でもある | 東洋容中律←[個物]同一性へ向かわない |
四句分別は欲動する主体を生かすロゴス批判、のために用いるべきであり、現状ロゴス維持のための手段であってはならない。たとえば、カースト制度という一つの現状ロゴスを批判する言説としての別の一つのロゴスを、レンマの論理でいなして抑えるということではならない。それが、サンジャヤがカースト制度の最上位にあるバラモンとしての身を不問にして維持したままレンマを唱えるときにも、問われるところだ。
釈迦による初期仏教は縁起主義に立ち、四句分別を排している。原始仏典の沙門果経でサンジャヤの四句分別を批判している。大乗仏教中観派の礎としての『中論』でインド人仏僧龍樹はしかし、四句分別を肯定的に見ている。『ジャイナ教綱要』では七句分別の主張となっていて、四句分別と共通するところが多分にある。このような事情であるから、四句分別をすぐれて仏教的とするのは妥当ではない。
古代ギリシアの懐疑主義哲学者ピュロンは、ロゴスの体系化を成したアリストテレスが教育したアレクサンドロス大王のアジア遠征に加わって、インドを訪れたことがあるが、そのピュロンについてのアリストクレスによる記述の中には、彼のなしたとされる(テトラ)レンマ的な言説がある[1]。
脚注
[編集]- ^ 金山弥平「懐疑主義に対する或る古代の批判ー アリストクレス「哲学について」より」『名古屋大学文学部研究論集. 哲学』第43巻、65〜76頁、1997年3月31日 。