レナ・キリアコウ
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レナ・キリアコウ | |
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生誕 | 1917年2月25日 |
出身地 | ギリシャ イラクリオン |
死没 | 1994年8月26日(77歳没) |
学歴 | パリ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト・作曲家 |
担当楽器 | ピアノ |
レナ・キリアコウ(ギリシア語: ; ラテン文字転写例:Rena Kyriakou, 1917年2月25日 - 1994年8月26日)は、ギリシャ出身のピアノ奏者、作曲家[1][2][3][4]。
経歴
[編集]1917年、イラクリオ生まれ。6歳でアテネのパルナッソス・ホールでリサイタルを開く。首相夫人エレナ・ヴェニゼロスの援助を受けてヨーロッパに留学し、8歳の時にはパリでヴァンサン・ダンディとアルベール・ルーセルに音楽理論を学ぶ。その後、ウィーンでパウル・ヴァインガルテンにピアノ、リヒャルト・シュテールに作曲を師事した。1930年にはパリ音楽院に入学し、アンリ・ビュッセルやイシドール・フィリップの指導を受けた。1933年にプルミエ・プリを得て卒業。
パリ音楽院在学中から、作曲家としてキリアコウの作品は国民音楽協会のコンサートで取り上げられていた。音楽院卒業後は、ピアニストとして自作を含んだ広範なレパートリーを持ってギリシャを本拠に演奏活動を展開した。1994年、アテネにて死去。
作曲家としては、ピアノ協奏曲1曲の他に前奏曲、変奏曲などのピアノ作品を残した。